毒親の呪いから解放されるまで 地獄編

『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』などで知られるアルテイシアさん。毒親問題からフェミニズムまで、ヘビーな内容もストレスフルな現象もコミカルに楽しく分析してくれるコラムがスタートです。

 

29歳ごろまでこの世界から消えたい願望が強かった。

みんなー、生きづらいですかーー?!!

イエーーーイ!!(幻聴)

かくいう我も、幼い頃から生きづらくて死にそうだった。29歳ごろまで「いつ死んでもいいや」と思いながら生きていた。

積極的に死にたいというより、この世界から消えたい願望が強かった。

ところが45歳になった現在は「腕白でもいい、長生きしたい」と生きる気まんまんである。
そこに至るまでの経緯や、生きづらさを解消するためにやったことなどを書きたい。

うちは両親ともに毒親で、両親ともに遺体で発見された(私が殺したわけではない)。

私が33歳の時に母が変死して、43歳の時に父が自殺して、これで二度と親に迷惑をかけられずにすむ…とホッとしたのも束の間、家に借金取りがやってきて、父が遺した5千万の借金を背負わされた。

親の遺した借金と聞いて、失禁しそうになった毒親フレンドもいるだろう。私も「冗談はよし子さん!!」と脱糞しそうになった。

(私のコラムはJJ=熟女言葉が頻出するので、わからない人は周りの年寄りに聞いてほしい)。

親に借金があった場合も、死後3ヵ月以内に相続放棄の手続きをすれば、だいじょーVである。

私の場合は、23歳の時に父に脅されて借金の保証人にさせられたのだ。

保証人の債務は放棄できないので、絶対に署名捺印してはいけない。推しを質に取られてもしてはいけない。いざとなったら実印を膣にしまって逃げよう。

そのへんは拙著『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』に綴っているので、参考にしてほしい。

さらには、私には同い年の双子の弟がいる。彼は若い頃モデルをしていたが、借金で首が回らなくなり、姉の私が何度も尻拭いをしてきた。

なぜうちの男連中はやたら首が回らなくなるのか、エクソシストのお嬢さんを見習ってほしい。

父の死後、弟ともいろいろあって音信不通&消息不明になっていた。

これで弟も遺体で見つかったら“家族全員が遺体で発見された女”という中二が濡れる設定になってしまう…と思っていたら、

なんと弟はユーチューバーになっていた。

人生は驚きと発見の連続、しゃかりきコロンブスである。この件もまたおいおい書きたいと思う。

 

毒親育ちは「みんなちがって、みんなつらい」

毒親に話を戻すと、毒親育ちもいろいろだ。いろいろだけど「みんなちがって、みんなつらい」が現実であり、それぞれが親の呪いに苦しめられる。

オギャーと生まれた赤子にとっては、親が世界のすべてだ。その親から無条件に愛される経験をしていないと「自分はこの世界に生きていていいんだ」と思えない。

また幼い頃から親に突然キレられたり怒鳴られたりすると、人間が怖くなる。一番身近にいる親が信頼できないため、人を信頼できなくなる。

人に心を開けないから、人づきあいを避けるようになったり、表面的なつきあいしかできなくなったりする。

かつ、人の好意がわからなくなる。

自分を好きになってくれる人が現れても「何か裏があるんじゃないか、利用するつもりじゃないか」と疑ってしまったりする。

あるいは「自分は特別に何かしないと好かれない」と過剰に尽くしてしまったり、相手に嫌われるのが怖くて無理に合わせてしまったりして、対等な人間関係を築けなくなる。

どうにか人間関係を築いても、見捨てられ不安からお試し行動をとってしまったりする。

…といった毒親育ちあるあるを述べると、毒親フレンドは「わかる!」と膝パーカッションしてくれる。

一方、毒親育ちじゃない人にはわかってもらえなくて、その「わかってもらえなさ」にも苦しむ。

たとえば「親が死んでホッとした」と言うと、人でなしだと思われる。

親が死んで悲しめない子どもが一番可哀想なのに、それをわかってもらえない。私は親が死んで悲しめる人が本気で羨ましかった。

毒親ポルノッ!それが俺たちを苦しめるッ!!!

とジョジョっぽく表現したが、私は断絶していた親子が許し合って和解する系のお涙頂戴コンテンツを「毒親ポルノ」と呼んでいる。

どんなにひどい親でも、吐き気をもよおすような邪悪でも、子どもは「親を愛せない自分はひどい人間じゃないか」と罪悪感に苦しむ。

そのうえ世間や周りから「子どもを愛さない親はいない」「だから親を嫌うなんておかしい」「許して和解すべきだ」と圧をかけられ、何重にも苦しめられる。

私は「敵は己の罪悪感」を標語にして、毒親のもとから逃げ出した。逃げなければ、親か自分を殺してしまうと思ったから。

「たったひとつだけ策はある!とっておきのやつだ!逃げるんだよォォォーーーーーッ」

というジョセフ精神で、18歳の時に家を出た。そしてバイト漬けで学費や生活費を稼ぎながら、国立大学に通っていた。

当時は親のお金で留学したり教習所や語学スクールに通う同級生に対して、ねたみ・うらみ・つらみ・そねみでガールズバンドを組める状態だった。

そんな自分がみじめで劣等感の塊だったからこそ、周りを見下すようになった。

「苦労知らずの甘ちゃんめ」と周りをバカにして「こんなに苦労や努力をして俺ってスゲー!」と選民意識をこじらせて「努力してない奴を許せない」と考えるようになっていた。

そんなふうに考えないと、やってられなかったのだ。そのせいで大学時代はあまり友達ができなかった。

当時はハタチそこそこの娘さんだったし、しかたないなと思う。でもやっぱり思い出すと恥ずかしい。

まあそれが今コラムのネタになっているので、よしとしよう。黒歴史は恥だが役に立つ。

 

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ビッチと化した黒歴史

黒歴史でいうと、私は大学時代にビッチと化した。

中高と女子校育ちで異性に免疫がなかったが、大学に入って彼氏ができた。その彼氏とも3か月ほどで別れて、その後は無風状態が続いていた。

そこに阪神大震災が起こった。私は神戸のど真ん中で被災して、友人や知人を亡くした。

たしかあれは地震の3日後だったか、瓦礫だらけの街でバッタリ父に出くわした時「なんやおまえ、生きとったんか」と言われた。

震災の報道では「家族の絆」が強調されるが、それがない人間だっているのだ。

そこから我はあばずれ番外地を爆走することになる。

「何もかもぶっ壊してやる…!!」と破壊神のような勢いで、酒に酔ってゆきずりの男とやりまくった。

「そんなの危ないよ」「自分を大切にして」と心配してくれる女友達もいたが、親から死んでもかまわないと思われている人間が、どうやって自分を大切にできるの?と聞きたかった。

私が死んだらあなたたちは泣いてくれるよね、でもきっと何年かすれば忘れるよね。

また大きな地震が来たら、あなたたちには真っ先に探してくれる家族がいるよね。でも私にはそんな存在がいないんだよ。

あなたたちも真っ先に探すのは私じゃないでしょ?

要するに、私はスネていたのだ。当時はハタチそこそこの娘さんだったし、そりゃスネもするわいな。

というわけで自暴自棄になって、酒やセックスに逃避して、メンはヘラヘラ、体はヨレヨレ。

でも金を稼がねばならんので、新卒で某有名企業に入社した。

これでもう金の心配をしなくてすむ!と喜んだのも束の間、商売が傾いた父は何度も金をせびってくるし、母は仕事中に何度も電話してきて無視したら職場に突撃してくるし、おまけに職場はセクハラ&パワハラのセパ両リーグだし、

そりゃうつ状態になるわいな。

というわけで28歳の時に退職して無職になった。

そんな人生詰んでるオブザデッドな地獄から、いかにサバイブしたか?毒親の呪いから解放されて、生きやすくなったのはなぜか?

そのへんのことを次回書きたいと思います。

 

4話以降は単行本に収録されています

 

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