たくさんのお悩みをお寄せいただき、誠にありがとうございました。
本日よりしばらくの間、毎週更新で、皆さまから寄せられたお悩みと、それに対する瀧波ユカリさんの回答をお届けしてまいります。
母と距離を置きたいが、幸せにはなってほしい
私は現在30代で、60代になる母がいます。
私は母の言動や感情的なところがどうしても苦手で、コロナを理由に会う機会を減らして、ここ数年はたまに電話をするだけで済ませようとしていますが、住んでいる場所が近いこともあってたまに道でばったり会ったり、突然家に押しかけてくることもあります(なるべく居留守を使っています)。
隣県に住んでいる兄も母の電話にはなるべく出ないようにしていて実際電話だけでも苦痛なことが多く、私と兄がなかなか会おうとしないことを
「私が死んだら後悔する」「親と会いたくないなんて、精神が病んでいる」「自分(子)の人生がうまくいっていないから、私(親)に冷たくして八つ当たりしている」
と恨み言ばかり言われています。
そんな母ですが、道端で泣いた赤ちゃんを抱いて大変そうなお母さんがいれば声をかけたり、少しでも困ってそうな人がいれば必ず何か助けになろうとする、そういう良いところもあって、私との電話でもごくたまに私を励ますような、ほしい言葉をくれることもあります。
でもやっぱり苦手な部分がはるかに上回ってしまって会いたくない。電話もなるべくしたくない。
私のことは忘れて別の世界で幸せになってほしいと思いますが、母は他人にどんなに感謝されても、自分の子供と関われない、自分の子供に愛されないことは絶対的な不幸だと思っているようです。
瀧波先生の『無痛恋愛』の33話でも「母親という役がそのまま自分になってしまっている」というシーンがありましたが、まさしく私の母もそうだと思いました。
私には子供もいないですし今後も持つつもりはないので、兄を産んでから45年も親という役割を生きてきた母の気持ちはきっとこれからも理解することはできないのかもしれません。
そしてどんなに親不孝だと言われても、この先も母と距離を取るつもりの私には出来ることは殆どないと思うのですが、長く親という役割を担ってきた人でも、別の世界で幸せを見つける方法、きっかけみたいなものをもし知っていたり思いついたことがあれば教えて頂けたら有り難いです。
こんにちは! 瀧波です。
春さんのお母さん…私の母と「同一人物かな?」ってくらい似てる!! 母は10年前に病気で亡くなって、その時のことを『ありがとうって言えたなら』(文藝春秋)という漫画に描いてます。もし読まれていたらわかると思うのですが、ほんとにすごい似てる…!!
「私が死んだら後悔する」とか、罪悪感を与えてくる系の恨み言のチョイスとか、でも周りの人には優しいとか、たまにいいこと言ってくれるとか…お悩みを読んでいると、ほんとに私の母みたいで不思議な気持ちになりました。
春さんのお母さんは、春さんに「私を見て! 私を心配して!」って、すごいアピールをしているんですよね。で、春さんはそれに答えなきゃ、って思ってる。でもつらい…っていう板挟み、揺れ動く気持ち…。わかります。苦しいですよね。私も、母とこういう時期がありました。
いつも頭のすみっこに母がいて、ずっと気にしてないといけないような気がする。そういう状態が長く続いていました。お風呂に入っている時とかでも「そろそろお母さんに連絡したほうがいいのかな」とふと考えたりして、気が重くなっちゃって、リラックスタイムが台無し! みたいな。
以前描いていた『あさはかな夢みし』(講談社)っていう平安時代が舞台の漫画にも、そういう母と娘が出てきます。主人公の夢子の後ろに、お母さんの亡霊がつきまとっているんです。ドロドロ〜っとした、怨霊みたいな感じで。それで、ずーっと夢子の頭をつんつんと突っつきながら、小言を言っている回があるんです。
そう、怨霊。怨霊って、話が通じないじゃないですか。まあ怨霊と話したことないけど…通じなさそう。たぶん、ジャンルとしてこういうお母さんは、怨霊なんですよね。そんなわけでちょっとここで、お母さんを「怨霊」に置き換えて考えてみましょう。
「お母さんって怨霊だよな…」そう思うと、近寄りたくないって気持ちも「そりゃそうだな、怨霊だもんな」と思えますよね。たまに見る優しさとか、面倒見のよさについても「だからって、わかりあえるわけじゃないな。単に怨霊にもいいところがあるってことだな」って、冷静に捉えられますよね。
あと「話が通じない相手」って自分とは種類が違う、と考えることもできますね。たとえば、犬と猫とか。お母さんが犬なら、春さんが猫。ああでも、最近はSNSで「うちの犬と猫は仲良く暮らしてます!」みたいな例をよく見るから、犬と猫はまだわかりあえるかな。
じゃあ「クモザルとカピバラ」はどうでしょう。20年くらい前、ある動物園ではクモザルとカピバラを同じスペースで展示していました。クモザルとカピバラは別に仲良くはしないし、お互いあまり干渉しないんだけど、共生していたんです。ところが展示を始めてしばらくしてケンカが起きて、クモザルが怪我をして死んでしまいました。お互い干渉しないように見えても、たまには小競り合いもあったりしたようです。
種類のちがう者同士が同じ場所にいて、暮らすことはできるけどストレスがたまる時もあって、話もあんまり通じないし、ぶつかってしまった。そんなクモザルとカピバラの例と同じくらい、こういうタイプのお母さんと娘っていうのは違う生き物、違う種類だと思うんです。いつかはお互い歩み寄れるかもしれないけど、もともとはそれくらい違うっていうのを、ちょっと念頭においてみてください。
では、種類が違うと捉えた上で、その相手との距離感をどうしていくか?
春さんの「私のことは忘れて別の世界で幸せになってほしい」という思いについてですが、そう思うことがまだお母さんの影響力の中にいるって感じがするんですよね。お母さんが放出している「私のことを気にかけていて」っていうエネルギーの渦に巻き込まれた結果、そう思っているんじゃないかって。
その影響力の外に出ていたら、別にお母さんが幸せでも幸せじゃなくても「まあどうでもいいや!元気でやっててね!」ってマインドになれる。でも春さんはまだ渦の中にいて、洗濯機に放り込まれたみたいにぐるんぐるんされているんだろうなって感じがありますね。
「私のことは忘れて別の世界で幸せになってほしい」って思っているのは、かなり優しくて親切な姿勢ですよね。心配もしてあげている。でも「もうお互い大人なんだから勝手にすればいいよ。お母さんのことなんて心配しないも〜ん」くらいのテンションでも、ほんとは全然いいんです。
大切なのは、そんなふうに「お母さんのエネルギーに引っぱられている」って自覚を持つこと。そして、そこは切り離していいって自分に言い聞かせること。
でも、そうすると今度は罪悪感が湧いてくるんですよね。経験者だからわかるんですけど。心配しないでいると「私って悪い娘なんじゃないか」とか思っちゃうんですよね。
でも大丈夫です。実は、そう思わないための「コツ」があるんです。
ここでまた、怨霊のことを思い出しましょう。「怨霊がこの村にいる」ってわかった時、村人は何をするでしょう? まずは、祠(ほこら)みたいなのを建てますよね。ちょっと大きめの、いい感じの石を持ってきて、お水とかお花とかをお供えして。時々はお菓子も置いて。祠の前を通る時には、ちょっと手を合わせる、みたいな。
お母さんにも、それをやるんです。
毎日じゃなくていい。「山の中の祠の前をたまに通る時」くらいの頻度で、ちょっと声をかけたりとか。年賀状を出したり、お中元とかお歳暮を贈ったり、そういう「イベント」とか「形」に乗っかる感じ。
乗っかるって、楽なんですよね。「まあ世の中ではそれをするだろう」って既成概念に乗っかる。祠とか、お墓参りもそうですよね。お彼岸とお盆に行くとか、ロウソクと線香とお花があればOKとか、そういうノリでやる。
誕生日と母の日には何か贈って、メッセージも送信して…そういう「形」をおさえておくと、怨霊は「ほう、私のこと忘れてないじゃん。よしよし」ってちょっと落ち着くわけです。
これをイベント以外の時にもやろうとすると、いつも考えなきゃいけなくなるから、しない。お正月、誕生日、母の日、お盆、敬老感謝の日、クリスマス…いっぱいあるね! それだけでもう、めっちゃかまってあげてるじゃんって感じがするでしょう。
折々のイベントはおさえて、それ以外の時は考えない。考えなくていいんです、全然。
年代的にも60代以上だと、そういうイベントとか形とか挨拶とかを、今の世代よりも大事に思っていたりするんですよね。だから、意外と効果が高いんです。もし春さんがすでにそのあたりをしっかりやっていたら、それで全然オッケーだって安心してほしいです。私はちゃんとやることやってるって。
大切なのは「心配はしなくていい」ってことと「形に乗っかる」ってこと。「自分がいないところで幸せになってほしい」って、思わなくて大丈夫。実は意外とあの人たち、見ていないところで既に楽しくやってます。わりと満足してます、人生に。「楽しくても、もてあましてる感情はあるんだろうな。まあ、それは私にはどうしてあげることもできないけどね」って、思っておけばいいんじゃないかな。
時々まどろっこしくなって、思いっきり連絡をぶっちぎるとかしたくなるけど、それはそれでストレスや罪悪感が募って大変。だから、適切に心の距離を取りつつ、渦に巻き込まれないように、二歩三歩引いてみつつ、イベントごとにちょいちょいかまって「怨霊さん落ち着いてくださいね」っていうのを、やってみてもらえたらなと思います。応援しています!
次回の更新をお楽しみに!

漫画家。札幌市に生まれ、釧路市で育つ。日本大学芸術学部を卒業後、2004年に24歳のフ リーター女子の日常を描いた4コマ漫画『臨死!!江古田ちゃん』でデビュー。現在、 『わたしたちは無痛恋愛がしたい』 を連載中。そのほか、「ポリタスTV」にて、「瀧波ユカリの なんでもカタリタスTV」にも出演中。