毒親フレンドには「テロリストとは交渉しない」という言葉を贈りたい。
(前回のあらすじ)父の一言がきっかけでビッチ期に突入、その後もいろいろあって人生詰んだ。
かつての私が酒やセックスに依存したのは、現実のつらさから逃避したかったからだ。
また私は北半球一の寂しがりやで、いつも寂しかった。誰かに甘えたかったし、抱きしめてよしよしされたかった。
でも誰もタダでそんなことしてくれないので、セックスをエサに男を釣っていたのだ。
セックスしている一瞬は寂しさやつらさを忘れられたけど、そんなのはシャブみたいなもので、リバウンドでさらに苦しむ羽目になる。
ちなみに遵法意識が高いので、シャブはやったことないです。
ビッチ期は漆黒の時代だったが、その結果セックスが得意科目になり、それをネタにコラムを書けたのでよしとしよう。黒歴史は恥だが役に立つ。
28歳、セクハラパワハラのセパ両リーグな会社を辞めて無職になった。当時はうつ状態だったため、転職活動する元気もなかった。
その時たまたま母親と会う機会があり、会社を辞めた話をすると「あなたは辞めてないわよ」と頑なに認めなかった。
「この人は有名企業に勤めるエリートの娘じゃないと嫌なんだな、子どもの体の心配よりも、自分の見栄やプライドが大事なんだ」
そんな母には慣れていたけど、やっぱり深く傷ついた。
当時の私はまだ、親の愛情を期待していたのだ。何度裏切られて絶望しても期待を捨てられない、子どもとはせつない生き物である。
でもその一言でようやく諦めがついた。
同じ時期に、父親からまた金を無心された。今は無職でお金がないと話しても「貸さないと自殺する」と脅されて、私はなけなしの100万円を渡した。
「俺が死んだらお前のせいだ」と脅迫する、モラハラやストーカーの手口である。それをわかっていて金を渡したのは、万一にでも父に自殺されたくなかったからだ。
「なんやおまえ、生きとったんか」とほざいた父は、私が死のうがどうでもよかったのに。
もう二度と毒親に苦しめられるのはごめんだ。ようやく踏ん切りがついた私は携帯もメールアドレスも変えて、完全なる絶縁を果たした。
そしてその数年後、遺体とご対面となったのである。詳細は拙著『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』に綴っているので、よろしくどうぞ。
毒親の呪いに苦しむフレンドには「テロリストとは交渉しない」という言葉を贈りたい。
世間は「親子なんだから、話し合えばわかりあえる」と毒親ポルノを押し付けてくるが、話し合ってわかりあえる親ならそもそも苦しんでいないのだ。
「親を許して和解するべき、じゃないと親が死んだ後に後悔するよ」という脅しも「今日耳日曜~♪」とスルーしよう。
許したくても許せなくて苦しむ被害者に「許すべき」と強要するのは二次加害だ。
私は親が死んでも後悔なんてなかったし、むしろもっと早く絶縁すればよかったと後悔している。そしたら借金の保証人にもならずにすんだのに。
だからみんな…実印を膣にしまって逃げて…膣がゆるければアナルでもいいから…私の屍をこえていけ!!(ガハッ)
エア吐血しながら続けると、無職期間に「しばらく実家に帰って休んだら?」とか言うてくる人もいた。
けれども、それがしには帰る実家などござらぬ。おいどんは生きるために金を稼がねばなりませぬ。
というわけで、やつがれはフリーランスとして仕事を始めた。
夫に出会ったことで、ペーパーウェイトを手に入れた
地獄折れ線グラフでいうと、この時が底つき期間だったと思う。
先が見えず不安でいっぱいで、不安を紛らわすために酒に逃げて、酔っ払って転んで前歯を折った。
げっ歯類じゃないので歯は生えてこないし、しかも前歯はセンターのポジションである。
センターを失った絶望と将来不安から寂しさをこじらせて、本気で凍死しそうだった。
それゆえ「節子、それ毛布やない、腐った雑巾や」みたいな男に手を伸ばして、溺れる者は糞(くそ)をもつかむ状態だった。
「この世界は地獄だ」とアルミン顔で虫の息だった私は「惚れたハレたはいらない、家族がほしい…!!」と腹の底から思っていた。
そんな29歳のある日、夫に出会った。
という文章を読んで「パートナーに出会って救われたって話かよ、ケッ」と唾を吐きたくなった人もいるだろう。でもそういう話じゃないので、唾を飲み込んでほしい。
夫は奇天烈なファッションをしたオタクで、昆虫と恐竜の話しかしなかった。
そんな夫に対して恋愛感情は発動しなかったし、股間のセンサーも微動だにしなかったが、試しに付き合ってみた。
夫のことを男としてじゃなく、人して好きになったから。また夫が私を女としてじゃなく、人として尊重してくれたから。
性欲薄夫の彼がセックスを求めてこないことにも安心した。
また「世間に向かって唾を吐いているきみが好きだ」と言ってくれたのも嬉しかった。今まで男の前で素を出せなかったけど、夫の前ではそのまんまの自分でいられた。
かくして友情結婚のような形で結婚して、その経緯をブログに書いたら話題になって作家デビューが決まった。人生とは珍奇なり。
私は夫に出会ったことで、ペーパーウェイトを手に入れたのだと思う。
「いつ死んでもいい」と思っていたけど、人生に重しができたことで「簡単に死ぬわけにはいかんな」と思うようになった。
これはあくまで「※個人の体験です」であって、人それぞれ必要なものは違う。
愛情飢餓状態だった私には無条件に愛してくれる存在が必要で、それがたまたま夫という人間だった。
過去の私はメンタルが不安定な自分が大嫌いで「こんな自分を変えなきゃ幸せになれない」と思っていた。
でも夫に「いろいろ大変なことがあったんだから、不安定になって当然だろう、べつに変わらなくていいんじゃないか」と言われて、「それでいいのだ」と肯定されたことで、メンタルが安定した。
そんなアナルガバ太郎な伴侶を得たことで「ようやく生きていける」と自信がついた。
そして結婚16年目の現在は「夫が死んでも大丈夫だな」と自信マンマン太郎になった。
もちろん夫が死んだら悲しいし、長生きしてほしい。夫自身が「不老不死になって45億年生きたい」とか言うアレな人なので、人魚の肉とか食えるといいねと思う。
ぱさぱさに乾いた植物のようだった私には、たっぷりの水が必要だった。それが満たされて心が丈夫になったから「夫がいなくても大丈夫、生きていける」と思えるようになったのだ。
自分の答えは自分で見つけるしかない
人それぞれ必要なものは違う(二度言う)。
仕事、趣味、推し、パートナー、友人、子ども、ペット…自分を満たすものはさまざまで、「真の自立とは依存先を増やすこと」というように、いろんなものに頼りながら生きていくのが人間なのだろう。
私はあのタイミングで夫に出会えてラッキーだった。あれよりもっと前だったら、夫に出会ってもスルーしていただろう。
あの時、自分に必要なものを見つけられたのは、神の意志やイデの導きではなく、腹の底から救われたかったからだ。
救われたいあまり占いやスピ沼にハマった瞬間もあったけど、自分の答えは自分で見つけるしかない。
そのためにはもがき苦しみながら自分を見つめるしかないし、「自分の船の船長は自分だ」という覚悟が必要なのだと思う。
以上ダイジェスト版でお届けしたが、29歳まではおおむね地獄だった。当時を振り返ると「終わらない悪夢を見てるようだったよ…」と進撃のユミル顔になる。
とはいえ「夫に出会って一挙解決ハッピハッピー!」というわけではもちろんない。だいぶ生きやすくはなったけど、呪いを解くにはもうしばらく時間がかかった。
次回は呪いから解放されるためにやってみたこと、毒親デトックス、中二病療法、ジョースター療法、WANTとMUSTの整理術、寝起きほめほめ大作戦…などのライフハックについて書きたい。
読んでいただきありがとうございます。
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作者・編集部で拝見させていただきます。