第13回 竹田ダニエル×アルテイシア対談

この連載は、ヘビーなこともストレスフルなことも楽しくパワフルに切り返すアルテイシアさんが、毎回ゲストの方とジェンダー観やフェミニズムについて語ります。
第13回は1997年生まれ、カリフォルニア州出身で現在もお住まいのZ世代の新星ライターである竹田ダニエルさんです。4回構成の1回目は、アメリカで育った竹田さんから見えるフェミニズムなどについてお伺いしました。

 

アメリカ生まれの若者の視点

アルテイシア(以下、アル):『世界と私のAtoZ』を始め、鋭い分析をいつも楽しく読んでます! アメリカ生まれの若者の視点でジェンダーや政治について発信されていて、すごく勉強になります。

竹田ダニエル(以下、竹田):日頃から記事の拡散などありがとうございます! 自分もアルテイシアさんの本を周りに勧めているので、今日はお話しできて嬉しいです。

アル:まずは竹田さんがジェンダーやフェミニズムについて考えるようになったきっかけを教えてもらえますか?

竹田:最初は中学の授業でルッキズムについて学ぶ機会がありました。

女性が広告に起用されると露出度が高くなってモノのように扱われることや、体型が補正されることなどを批判的に捉えて考えさせるような内容でした。

アル:欧米では子どもの頃から「物事を批判的に見ること」を学ぶと聞きますね。

竹田:そうですね。フェミニズムで言うと、2013~2015年頃のフェミニズムは今のように人種差別なども含んだインターセクショナルなものではなく、シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と性自認が一致する人)の白人女性中心のフェミニズムでした。

その点に問題はあったと思いますが、テイラー・スウィフトが女性の権利を主張したり、エマ・ワトソンの国連スピーチが注目されたり、ポップで身近な話題が多く、共感を集めやすかったと思います。

自分の分岐点となったのは、大学でディベート部に入り、ジェンダーや政治や社会問題について学んだことです。

いろいろ調べていくうちに『Living Dolls』という本に出会ったのですが、資本主義社会で美容やルッキズムの文脈で女性が搾取されることが論理的に書かれていて、印象的でした。

あとは、高校生のときに好きになった『Haim(ハイム)』という3人姉妹のバンドからも影響を受けました。

彼女たちは「なぜ“ガールズバンド”と言われなきゃいけないのか」と主張したり、男性に対しては聞かれないような質問をされることに対して怒っていたり。おかしいと思うことをはっきり指摘する姿がかっこいいなって。

アル:それはかっこいいですね! 日本では若い女性がはっきり主張すると叩かれる現象がありますよね。

日本の企業で働く女性たちも「女性視点でどうですか?」と聞かれまくってうんざりしてます。男性社員は「男性視点で~」とは聞かれないわけで、男社会でマイノリティの女性が女性全体を代表させられる場面はあるあるですね。

昨年の9月にも岸田首相が女性閣僚の起用について「女性ならではの感性や共感力を十分発揮してほしい」と発言して炎上しました。まあ批判されるだけマシになったとは言えますが。

リケジョ・女医・女社長・女流棋士といった言葉も男性には使わないわけで、「男がデフォルト」「女なのに〇〇」というバイアスがありますよね。

「女は目立って得だよな」とぼやく男性がいるけど、女性が目立つように見えるのは、その分野に女性の数が少ないから。女性が活躍できる機会が少ないことが、この社会が男性優位である証拠なんですよ……と説明しても、そういう男性は聞く耳持ちませんけど(笑)。

 

なぜ日本では政治の話がタブー?

アル:竹田さんは、アメリカでは若者がラディカルで左派的な思考を抱くことに躊躇せず、環境アクティビズムも熱心で、人種問題やジェンダー平等など社会問題に声をあげているとおっしゃってます。

Z世代がSNSで政治について意見を交わしたりデモに参加したり、それをインスタグラムに上げるのが普通だとインタビューでも答えていて、ここが日本との大きな違いだなって。

日本では政治批判しただけで「思想強い」「意識高い」と冷笑されたり、「共産党のスパイ」と言われたりする。スパイだったらもっと隠密活動するだろうと思いますけど(笑)。

竹田:アメリカでは政治の話をすることが普通なんですよ。なぜなら、いつも“ギリギリ”だから。

いつ学校で襲撃事件が起きるか分からないし、人種差別や格差社会や環境問題も肌で実感するような社会なんです。常に危機感を持って生活しなきゃいけないことが影響しているかもしれません。

アル:アメリカのギリギリ感に比べると、日本は“真綿で首を絞められるような苦しさ”があるかもしれません。

同調圧力が強くて、出る杭は打たれる、長いものに巻かれろという社会で、言いたいこと言えないポイズンみが強い。

日本だって生活は大変だし、新自由主義の格差社会で苦しいはずなのに、苦しみから目をそらして思考停止している人が多いと感じます。

若者に限らず大人もですが、自分の生活と政治がつながってないのかもしれません。自己責任教を刷り込まれて、都合のいい奴隷にされている。そういう大人を見て育つと、若者は声を上げようと思いませんよ。

竹田:たとえばカリフォルニアでは「良い就職をして結婚して子どもを持つ」といったルートが基本的に崩壊してます。

大学に進学しても莫大なローンを抱えなきゃいけない(※)し、賃金は上がらないし、雇用は不安定で「とりあえず借金返済できればいい」というレベルです。

環境破壊も進んでいるので10年後に生きているかも不安で……という状況で「今を大事にしよう」と考える人が増えています。

※近年大幅に授業料が値上げされ、学生ローンを借りる人が増えており、完済するには平均17年かかるというデータがある。

www-cnbc-com.translate.goog

「持続可能な社会を作る」と「今を生きたい」は矛盾しているように見えるかもしれませんが、今を生きたいからこそデモやストライキに参加して、改善を求める。未来のために今動かないと、人生の手応えを感じられなくなってるんですよね。

アル:海外に暮らす友人たちは「こちらでは政治の話をするのが普通だし、むしろ政治の話をできないと大人だと認められない」と言います。

私は「アルテイシアの大人の女子校」という読者コミュニティや「ジェンダーしゃべり場」というイベントを運営してるんですが、「周りの人とは政治やジェンダーの話をしづらいから、こういう場があって助かる」とよく言われます。

日本で政治の話がタブーとされる理由として、民主主義教育や主権者教育のなさが大きいと思います。

「選挙に行っても変わらない」「自分の意見や一票には価値がない」という諦め感が強くて、「自分には社会を変える力がある」という自己効力感が低い。

私と同世代でも「どうせ変わらない」と言う人たちがいて「我々世代が政治に無関心で沈黙してきたから日本はこんな有り様になってるのに、反省はないのか?」と思いますよ。

竹田:日本では学校でも政治の話がタブーとされてますし、今の若者は自民党政権の中でずっと育ってきているので、生活ベースで危機を感じなければ、変える必要はないと思うのかもしれません。

アル:日本も危機的なタイタニック状態なのに……。民主党政権はたった3年しか続かなくて、日本がどんどん沈んでいるのは自民党の責任なのに、あまりにも変わらなくて感覚が麻痺しているのかも。

教員の友人たちは「選挙について教えろ、でも政治の話はするな」とトンチみたいなことを上から言われるそうです。「戦争反対」って話をしただけで「政治色が強い」と校長から怒られたって話も聞きました。教師が教えたくても教えられない状況があるんですよね。

韓国の友人は「デモは日常茶飯事だった」って言ってましたし、この連載で対談した楠本まきさんからは「イギリスでは市民がストライキを応援している」って聞きました。

自分が不便を被っても応援するのは、自分たちには労働者として権利があることを知っているから。一方、日本だとストに対して「迷惑をかけるな」と謎の経営者目線で叩く人が多いです。

日本は「迷惑かけるな教」も強いですが、自分が「迷惑かけちゃいけない」と我慢しているから、権利を主張する人に対して「あいつらはズルい、ワガママだ」と許せないのかもしれません。

竹田:日本の中学に通っていた友人から聞いたんですが、色付きリップをつけていたら、同級生に密告されたそうです。それで先生に注意されたので「どこにそういうルールが書いてあるのか?」と聞いたら、同級生に「なんで先生の言うこと聞かないんだよ」と責められたんだとか。

アル:中学生から奴隷根性を刷り込まれているのか……つらたん。「なぜ色付きリップがダメなのか?そんな校則は理不尽じゃないか?」と考える方向にはいかないわけですね。

竹田:監視側につくことによって、自分の意見を持たなくても、自分が権力を持ったような気持ちになれるのでしょう。そのルールが理不尽であったとしても、権力者側に従っている自分は「いい子」だと思いたい人も多いんだろうなって。

アル:ネトウヨとかもそうですが、強者側/権力側につくことで、自分も強者/権力者になったように錯覚するのかもしれません。自分は支配されて搾取される側だと気づいてないんですよね。

日本の学校では下着や靴下の色まで指定したり、地毛を黒く染めさせたりする校則があります。「みんな同じであれ」と管理しておいて「自分らしく生きろ」「自分の意見を持て」って言われても、どうやって?って話ですよ。

私は中高がキリスト教系の女子校だったんですが、校則がほとんどなくて、人権教育が充実していました。差別や貧困や日本の戦争加害についても学んだし、ボランティア活動もさかんでした。

日本でそういう教育を受けられたのは、学校ガチャに当たってラッキーだっただけなので、すべての子どもが学べるようにするべきだと思います。でも映画『教育と愛国』とか見ると、どんどんヤバい方向に進んでますよね……。


次回、第2回では、日本とアメリカの社会的スタンスの違いなどについて語ります。


構成:雪代すみれ

 

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竹田ダニエル

竹田ダニエル

1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。そのリアルな発言と視点が注目され、あらゆるメディアに抜擢されているZ世代の新星ライター。「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著作に、『世界と私のA to Z』『#Z世代的価値観』など(ともに講談社)。