第8回はまだフェミニズムという言葉が浸透していない1988年の日本において、『Kissxxxx』という作品で少女漫画の世界に新しいキャラクター像を送り出した楠本まきさんです。全4回の最後は、創作にまつわるジェンダーバイアスとの付き合い方について語ります。
『それは少女に対する裏切りではないか』
アル:『赤白つるばみ・裏』で漫画家の谷崎先生が口にする「ガーマ(架空の少女漫画雑誌)はジェンダーバイアスのかかった作品が結構多いのでそういうのは全滅するといいなって思います」ってセリフには感動しました。
ご自身のnoteでも「少女漫画は、もっと少女の考え方や生き方を自由にするものでなければ、それは少女に対する裏切りではないか」と書かれていて痺れました。
『KISSxxxx』のかめのちゃんは自分を卑下することもなく、うじうじ悩んだりもせず、男の子に尽くさず、女子力アップも目指さず、自由に楽しく生きている。少女漫画のステレオタイプなヒロインとは全然違って、かめのちゃんみたいになりたい人生でした(笑)。
4年ほど前に若い女性漫画家さんから聞いたんですが「パワフルな女の子と泣き虫の男の子のストーリーを描きたい」と言ったら、編集者から「そういうのはウケないから、男の子を強くして女の子を守らせて」と言われたそうです。
楠本:どういう作品を読者に届けたいかというのは編集部の姿勢であり矜持ですよね。私は出版に希望を持っているので、過去にウケたものの後追いや二番煎じに甘んじず、自分たちが読者や社会を牽引していこうという姿勢を期待します。当然ジェンダーに関してもです。そういう姿勢を打ち出している小さい出版社も増えていますよね。
アル:ハフポストのインタビューでは、既にバイアスのかかった状態で漫画家が自分で気づくのは難しいだろうから、どちらかというと編集に気づいてほしいっておっしゃってましたね。
私が10年以上担当してもらってる編集さんも、私以上につよつよのフェミニストで「この表現は変えた方がいいかも」と率直に意見をくれます。自分一人だと気づけないこともあるので、忖度せず言ってくれる存在はありがたいですよ。
楠本:バイアスって気づけないからバイアスなので。編集部内ジェンダー勉強会、プラス参加したい作家も参加できる、というようなものがあるとなおいいですよね。女性男性ノンバイナリー問わず受講したい人は多いと思います。みんな忙しいからオンラインで(笑)。
そもそも何がジェンダーバイアスなのかわかっていない人ほど「取り締まられる」と身構えたり、不安に思ってしまうんじゃないかなという気はします。
アル:よくわかってない人ほど「面倒くさい」「ポリコレだ」とか反発しますよね。「自分は時代遅れなのかも」という不安もあるのかもしれません。
楠本:今はまだ作家・編集者個人個人の意識や理解だけに頼っている状況なので、業界全体の意識の底上げができれば、送り出す作品のクオリティも自然と上がるんじゃないでしょうか。
私自身も、女性差別については当初から意識があったので、その点に関しては過去作を今読んでもだいたい耐えうるんですが、他の側面では至らない部分もやっぱりあります。あの時編集者が止めてくれていたら…って思いますが、手遅れなので受け止めるしかありません。
アル:私は自分の過去作を読み返すと、頭を抱えて落ち込みます(笑)。
でも人はみんな間違えるし、みんなアップデートの途中だから、間違ったら反省して改善することが大事だよね、と自分にも言い聞かせてます。
楠本:大抵の人は初めから完璧ではないし、成長しますからね。
幸運にも電子版や愛蔵版として過去の作品を出し直す機会があり、点検して今の目で見てこれはないな、という部分は、編集者や校閲者にも確認してもらいつつ削除したり、自分の言葉で断り書きを入れたりするんですけど、自分のダメなところを見つめるのはやっぱり苦しいです。
でも、それをうっかり見せられる方はもっと嫌だろうし、ただ機械的に削除して終わりにすることや、一律に「制作された時代を鑑みてそのままとしました」とだけ入れるのでは、少なくとも自分が生きているうちは誠実ではないと思って。
アル:BTSはかつて女性蔑視的な歌詞や発言を批判されて、それに対して真摯に謝罪をして、新曲の歌詞をジェンダー研究者にチェックしてもらってるそうです。
アーティストを守るためにも、そういう第三者のチェックはあったほうがいいんじゃないかと。私でよければ50円でやりますよ(笑)。
楠本:それではやりがい搾取なのでちゃんと相応の対価をいただいた上でやってください(笑)。
出版業界の場合はその役割は校閲が担っていると思いますが、校閲者のジェンダー解像度も人によって、結局は個人任せの部分が大きいように思います。漫画で校閲まで入れることもあまりないかもしれません。それを踏まえてですが、校閲の指摘を受け、編集部、最終的には作家が判断します。
作家も、そこはバイアスではない、表現しなければならない、ということであれば、闘ってでも描いて欲しいし、闘うためにはジェンダーに関する理解や知識も必須です。そしてその時は編集者も全力で作家をサポートして欲しいですね。無自覚に垂れ流すこととは全然違いますから。
アル:膝パーカッションです! ジェンダーの呪いを再生産しないことは、大人の責任ですよね。それをもっと本気で考えてほしい。
楠本:ジェンダーバイアスと表現については、ケースバイケースで丁寧に考える必要があって、「ジェンダーバイアスのかかった人物」が登場するからといって、自動的にその作品が「ジェンダーバイアスのかかった作品」になるわけではないですし、実際にあるジェンダーバイアスに異議を唱えるためにも、やはりジェンダーバイアスを描く必要がありますよね。
ほしいのはむしろそのための指針(ガイドライン)であるということを「よみタイ」の鼎談で詳しく話しているので、併せて読んでもらえたらと思います。
批判するのも表現の自由
アル:こういう話をすると「表現の自由ガー」とトンチキ発言が飛んできませんか。表現の自由は批判されない権利ではないし、批判するのも表現の自由なのに。むしろ批判する側が嫌がらせや脅迫を受けたりして、口を塞がれてますよね。
楠本:そうですね、実感として「ジェンダーバイアス」の意味すらほとんど理解されていなかった2019年にはトンチキ度もものすごかったですが、今はカウンターになって一緒に「そんな話はしてないが」と言ってくれる人も増えているように感じます。
全ての根底には、言葉が軽んじられているということがあると思っています。差別を都合よく正当化するためや、何も考えたり判断したりしないことの大義名分として濫用される、カッコ付きの「表現の自由」から、私たちが大切にしている本来の意味の表現の自由を取り戻したいですね。
アル:私もBTSの歌詞チェックのことをコラムに書いたら、「検閲だ!」とコメントが来たんですが、「検閲」とは公権力が主体となって行うことですよね。
例えば政権が自分たちに都合の悪いことを書いてないかチェックするようなことで、BTSが自発的にチェックをお願いしてるのとは全然意味が違いますよね。せめて言葉の意味を調べてから批判しろよと思います。
楠本:「差別すんな」って話をしてるところに「差別したい人の多様性の否定だ」と言われても、多様性とはそういう文脈で使える言葉ではないですよ、テストで書いたら0点です、というようなことですね。
アル:「そもそも差別が多様性の否定なんだよ!」と暴れたくなりますね。
最近は一般の人々が声をあげるようになったことや、炎上すべきものが燃えるようになったことは前進だと思うものの、一部の女性叩きの激化はひどいですよね。
楠本:イギリスにもインセル(不本意な禁欲者。強い女性蔑視、憎悪の考えを持つオンラインコミュニティーのメンバー)カルチャーなんかはあるようなんですけど、少なくとも表立って女性蔑視発言をするのは恥ずかしいという共通認識はあって、ミソジニーは社会から厳しく咎められるので、日本の空気感とは違いますね。
アル:スウェーデンに住む友人も同じことを言ってました。アンチフェミやインセルもいるだろうけど、本当にごく一部の隠れた存在であって、堂々とフェミ叩きやミソジニー発言をしようものなら軽蔑されるって。
日本だと「性差別をなくそう」という話以前に、性差別があることから説明が必要な場面もよくあって疲れますよ。
医大の入試差別とか、管理職や政治家の女性割合とか、男女の平均年収が200万以上差があるとか知らないの?って思うんですけど。
楠本:そうそう、自分が差別される側じゃなかったとしても、そんな世の中、嫌じゃない?って。
アル:スウェーデンでは保育園からジェンダー教育や人権教育をするうえ、SNSに差別的な投稿をしたら停学になるといった罰則もあるそうです。個人のモラルに頼るだけでなく、差別を禁止してるんですよね。
一方、日本は差別に対するブレーキが無さすぎてヤバイですよ。
楠本:ネットを見てると地獄のようですが、現実の社会ではどうなんでしょう。
アル:ツイッターやヤフコメの外の世界はそこまで地獄じゃないな、とは思います。
現実世界で出会う若者はジェンダー意識や人権意識が高いですね。たとえば同性婚についても20代は賛成が9割を超えてますから。
男子校で性暴力について話すと「自分も見て見ぬふりをしたくない」「アクティブバイスタンダー(行動する傍観者)になります」と感想をもらって希望を感じます。
楠本:それは本当に希望ですね。
アル:ただ「女性差別なんてまだあるの?」とピンとこない人も多いし、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)に気づかない人も多い。
ジェンダーやフェミニズムにあまり興味がない人にも、漫画は広く伝える手段として影響力が大きいですよね。
授業では『赤白つるばみ』や、よしながふみさんの『大奥』『愛すべき娘たち』、やまじえびねさんの『女の子がいる場所は』などをよく勧めてます。
楠本:今後はごくフツーにフェミニストの漫画家が、ごくフツーにフェミニストの編集さんと、タッグを組んで世に送り出す漫画がもっと増えていくといいなと思います。
アル:漫画界もそうだし、全ての業界にフェミニストたちが爆誕してほしい。そしたら社会が変わりますよね!
構成:雪代すみれ
読んでいただきありがとうございます。
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作者・編集部で拝見させていただきます。
1984年「週刊マーガレット」にてデビュー。お茶の水女子大学哲学科中退。
代表作に
『KISSxxxx』
『Kの葬列』
『赤白つるばみ』、
2021 / 22年に京都と東京で開催された展覧会関連書籍
『線と言葉・楠本まきの仕事』
等がある。楠本まき愛蔵版コレクション
『致死量ドーリス』
(小学館クリエイティブ)2023年11月発売。