第5回はまだフェミニズムという言葉が浸透していない1988年の日本において、『Kissxxxx』という作品で少女漫画の世界に新しいキャラクター像を送り出した楠本まきさんです。全4回の1回目は、非常に個人主義的な考え方を持つ家族からの影響と、創作にまつわるお話をお伺いしました。
物心がついた時にはフェミニストだった
アルテイシア(以下、アル):中学生の頃に『KISSxxxx』を読み、登場人物の生き方から「人と違っていいんだ」と思えて、勇気をもらいました。このように対談できて感無量です……!
今回はフェミニズムに目覚めた過程や、ジェンダーと表現についておしゃべりできればと思います。
『線と言葉 楠本まきの仕事』(以下、『線と言葉』)では「物心がついた時にはフェミニストだった」とお話しされてましたが、生まれた家庭のジェンダー観の影響はいかがでしたか。
楠本まき(以下、楠本):母がフェミニストだったので、その影響が大きいです。自然とフェミニストの観点を身につけて育ちました。「物心ついた時」としたのは、フェミニストである、というのは自分が意識することだから、「生まれた時からフェミニスト」ではないな、と思ったからです。
アル:『線と言葉』には「家庭が非常に個人主義的な考え方」で、お父さんから「権威を疑え」という信条を持って育てられたとありますよね。父が子に「権威を疑え」と教える家は希少だと思いますし、心から羨ましいです!
親が世間の目を気にして、長いものに巻かれろ的な生き方をしている家庭も多いですから。
楠本:私も数年前に初めて本人から聞いて、そんな教えが!?と驚いたんですけど。でもまあ、父らしいなと。ジェンダーの話でも父がトンチンカンなことを言ったり、通じなかったというような記憶はほとんどなくて。
なぜなんですかね、と尋ねたところ「それは差別について一通り勉強したからです」と、思いがけず明快な答えが返ってきてまたびっくりしました。私はてっきり、母の影響で次第に理解したのかと思っていたんですけど。もちろんそれも大きいとは思いますけどね。障害児教育に従事してきたことも無関係ではないのだろうと思います。
父はあらゆる差別の根は同じ、と考えていて、そうではあるが個々の差別については学ばなければわからない、というのが母の意見で。私も本当にそうだなと思って。だから他の差別には敏感なのに女性差別の話になった途端バグる人、っていうのがいるんだな、って。
…ただこういう生い立ちって、わざわざ話すことにためらいもあるんですが…。どういう家庭に生まれた、というのはたまたまであって、自分では選べないことですから。
アル:私はめっちゃ聞きたいですよ!アイスランドでもフィンランドでもない、この男尊女卑なヘルジャパンでフェミニストに育った人の話は貴重だし、参考になると思います。
幼い子どもにとっては「家庭=世界」だし、親は一番のお手本になりますよね。父が母に偉そうにして、母ばかり家事育児をしていたら、子どもは「男は女より偉い」「家事育児は女の仕事」と学んでしまいますよ。
フェミ男子たちにヒアリングすると、両親ともフルタイムで対等に稼いでいたり、母や姉がつよつよだったり、「男に尽くして立てる女」とは違う女性像を見てきたパターンが多いです。
あと知り合いのフェミ男子は、お母さんから「この世に偉い人なんていない」と言われて育ったそうです。楠本家の「権威を疑え」という教えとも共通してますよね。
楠本:あ、でもあんまり楠本家、という意識もなくて、それは父個人の教えです。子も「もっともだ」と思わないことは聞き流してます(笑)。
描きたい漫画を描けなかった時代
アル:楠本さんはどんな漫画作品が好きでしたか。
楠本:手塚治虫作品ですね、全ての礎は。幼少期に出会った『リボンの騎士』が大好きでした。昔はそんな言い方もなかったですが、手塚漫画にはジェンダーフルイド(性自認が流動的であること)なキャラクターが頻出するんですよね。まあサファイヤは家父長制の被害者で、自らフルイドと認識していたわけではないですけど。ちなみに「中ピ連」という言葉も手塚漫画から学びました(笑)。少女漫画は小学校に入って『ベルサイユのばら』を読んで、はまりましたね。
アル:『ベルばら』は「人間はその指先1本、髪の毛1本にいたるまですべて神の下に平等であり自由であるべきなのだ」というオスカルのセリフが、フェミニズムという言葉を使わずにフェミニズムを描いてますよね。また貴族と平民という差別構造も描いていて、私も子どもの頃にドハマリしました。
子ども時代を振り返ると「学園恋愛モノ」が人気でしたが、私は恋愛メインの作品にはハマらなくて。
もともと『ジョジョ』や『北斗の拳』のような少年漫画が好きだったし、『日出処の天子』『天上の虹』のような歴史漫画も好きでした。『BANANA FISH』『動物のお医者さん』『有閑倶楽部』にもハマりましたね。
『BANANA FISH』は夢小説まで書いてました、「月遠小夜(つきとおさや)」という中二っぽいペンネームで。
楠本:読者は結構昔から多様なものを求めていて、ヒットもしているのに、送り出す側ではなぜか「身近な恋愛モノでないと人気が出ない」という思い込みが強かったのかもしれないですね。
アル:たしかに。今はTwitterでバズるとか、pixivで人気が出てデビューとか、多様な作品が生まれやすいかもしれません。
楠本:80年代の終わりごろはまだ「少女漫画は読んでもいないし、好きでもないが、たまたま配属先が少女漫画だった。わからないながら仕事なのでヒット作を出したい」という感じの編集者も多くて、一緒にいい作品を作っていくっていう雰囲気はあまりなかったですね。
アル:当時は少女漫画誌の編集さんも男性が多かったんですよね。池田理代子先生が、インタビューでこんな話をされてました。
『1972年、24歳の時に『ベルサイユのばら』の連載をスタートさせました。あれからもう50年なんてね。
その頃の日本は完全なる男社会。編集部も男性ばかりでした。『ベルばら』にしても、当初は「おんな子どもに歴史ものなどウケない。理解できるはずがない」とひどい言い方で全否定されて。
女性漫画家への風当たりも強く、原稿料は男性の半分。同じ媒体で、同じくらい人気があってもです。
理由を尋ねると、「女は将来結婚して男に食わせてもらうんでしょう?男はあなたたちを食わせなきゃいけないの。ギャラが倍なのは当たり前」と言われました。すごい時代ですよね』
楠本:性差別そのものですが、おそらく多くの作家は原稿料についてあまり話さないので、今もどこまで改善されているのか、よくわからないし、私も知らないです。
というか、『ベルばら』、週マ(週刊マーガレット)ですよね!私が『Kissxxxx』を連載していた頃から15年くらい前の話?衝撃です。池田さん達がこうして対峙してくれたおかげで変わってきたんでしょうけど…。今は女性の編集者も編集長も増えてきているので、それによってどのように変化しているかも知りたいですね。
アル:楠本さんもデビュー当初はなかなか合う編集さんに当たらなくて、『週刊マーガレット』をやめようと思ったときに、「好きに描いてください」と言ってくれる編集さんと出会ったんですよね。それで『KISSxxxx』を描いたら大ヒットして、そこから好きに描けるようになったと。
楠本:割と冷めた高校生だったので(笑)、商業誌である以上、その雑誌で受けるようなものを描かなければ載せてもらえないのはある意味当然だろうと思っていました。
でも売れたら好きなものが描けるはずだから、とりあえず売れよう、本当に描きたいことはそれから描こうと思ってましたね。でもさすがにその状態も続くと苦しくなって、もういいや、やめよう、と思った時に「描きたいものを描いてください」と言ってくれる編集さんに出会えて、描きたいもの全部を込めて描いたら、 雑誌のアンケートで1位を取るようなことはなかったんですけど 、単行本が売れて…。
アル:本当に売れてよかったです…!!
次回、第2回では、現在お住まいのイギリスと日本のジェンダー観の違いについて語ります。
構成:雪代すみれ
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作者・編集部で拝見させていただきます。
1984年「週刊マーガレット」にてデビュー。お茶の水女子大学哲学科中退。
代表作に
『KISSxxxx』
『Kの葬列』
『赤白つるばみ』、
2021 / 22年に京都と東京で開催された展覧会関連書籍
『線と言葉・楠本まきの仕事』
等がある。楠本まき愛蔵版コレクション
『致死量ドーリス』
(小学館クリエイティブ)2023年11月発売。