クリスマスもお正月も成人の日も…毒親育ちの四季折々のつらさ
毒親育ちには、四季折々のつらさがある。
まず12月と1月がつらい。クリスマスやお正月の家族団らんシーンが巷に溢れていて、心を削られる。
成人の日もつらい。20歳の私は振袖姿の女の子たちを横目で見ながら、バイトしていた。
「振袖は着てないし成人式も行ってない」と人に話すと「なんで?親が用意してくれなかったの?」と聞かれるのもつらかった。
「わかる!5月6月もつらい」と毒親フレンズは膝パーカッションしてくれる。
販売職の友人は「母の日父の日ギフトの時期は、お客さんの相談に笑顔で乗りながら心で泣いてます」と話していた。
親からギフトを送れと圧をかけられて死にそうになるのも、季節の風物詩だ。
夏は夏で「お盆ぐらい実家に帰ってあげたら?親が可哀想」とか周りに言われて、心が冷え冷えになる。
秋は行楽シーズンだが、毒親育ちはイベントにつらい思い出が多い。
運動会、音楽会、遠足、修学旅行の時に「親にあんなことされてイヤだったな…ラーラーラーララーラー」と毒親アルバムが再生されてつらい。
イエベ春やブルベ冬といった派閥があるが、春夏秋冬のつらみを共有できるのが毒親フレンズだ。
フレンズは必死で戦場を生き延びてきたが、この世界はあらゆる場所に地雷が埋まっている。
たとえばSNSを開くと「素敵なご両親がいる子は魅力的だと思う」「結婚するなら親に愛されて育った人がいい」といった言葉が飛び込んでくる。
発信する側に悪気はないのだろうが、想像力もないと思う。こうした言葉が毒親育ちを幾重にも傷つけることを知ってほしい。
たとえば「健康な人は魅力的」「結婚するなら健康な人がいい」と言われたら、持病に苦しむ人はつらいだろう。
“持てる者”は想像力のない傲慢な発言をすることがある。
私も「親に愛されずに育った人は人を愛せないと思う」と知人に言われて、爆発四散しそうになった。
こういう毒親育ちに対するスティグマ(負の烙印)が溢れているから、毒親カムアウトできなくて、1人で抱え込むフレンズは多い。
もしもあの時、誰かに相談できていれば…。
23歳の私もそうだった。
我が生涯に百片の悔いあり!!
と拳を突き上げる我が一番後悔しているのは、父親に借金の保証人になれと脅された時、誰にも相談できなかったことだ。
そんな境遇の自分がみじめで恥ずかしかったし、友達に話したら引かれるかも、恋人に話したら振られるかも…と怖かった。
それで署名捺印してしまって、5千万の借金返済中ナウである。
もしもあの時、誰かに相談できていれば。「そいつは毒毒モンスターだ、逃げろ!」と言ってもらえたら、実印を膣にしまって逃げられたのに。
父親が23歳の娘に借金を背負わせるなんて、どう考えてもおかしい。でも当時はそれがおかしいことだと気づけなかった。
「親子は助け合うべき」と家族の絆教に洗脳されていたし、「助けてくれる人なんていないから、1人でなんとかしなきゃ」と思っていた。
子どもの頃から、ずっとそう思い込まされて生きてきた。
私めっちゃ気の毒やないかい~~~!バックトゥーザファイヤー!!!
子どもが助けを求められる社会にするために
こんな気の毒な被害者を出さないために、子どもが助けを求められる社会にするべきだ。
スウェーデン在住の友人・久山葉子さんによると、スウェーデンでは「子どもは生まれる家を選べないから、社会が子どもを育てる」という意識が強いそうだ。
著書『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』によると、スウェーデンでは小さいうちから積極的に“子どもの権利”について教えるという。
久山さんが保育園に通う娘さんに「子どもにも権利があることを知ってる?」と聞くと「すべての子どもには同じ価値がある」と即答して「子どもを働かせちゃいけない、子どもを叩いてはいけない…」とすらすら答えたという。
『家でパパやママから体罰を受けたら、それを先生に報告して助けを求めたらいいということを子どもたちは知っている』
『「おうちではパパやママの言うことをよく聞きましょうね」ではなく、大人が間違ったことをした場合に、それに気づく能力を養う。それは、保育指針にある“自分で考え、意見を持つ能力”を養うという点にもつながっていく』
という文章を読んで、ヘルジャパン生まれの全俺が号泣した。
子どもは教えてもらわないと、親が間違っていることに気づけない。
幼い頃、父が胸や尻に触ってきても「お父さんってこういうもの」と思っていた。それが性的虐待だと気づいたのは大人になってからだった。
またスウェーデンは大学まで学費が無料で、おまけに大学生向けの家賃や生活費の補助も充実している。
かたや日本では親の経済格差が教育格差につながり、進学したくてもできない子どもがいる。また若者の多くが奨学金という名の学費ローンの返済に苦しんでいる。
受験が存在しないスウェーデンと受験地獄の日本
久山さんに聞いて驚いたのは、スウェーデンにはそもそも「受験」が存在しないということだ。
子どもに順位をつけることを禁じているため、人気の私立の小中学校でも、合格を決めるのは「申し込み順」なんだとか。
『子どもに順位をつけない、つまり「子どもを比べない」という考えは、親たちの普段の子育てにもしっかり根づいています。例えば「○○ちゃんはできてるのに」と他の子と比べるような発言は絶対にしません』という文章を読んで、全俺の号泣が止まらない。
受験地獄のヘルジャパンで、子どもは生まれた時から競争にさらされる。
小学生の私は毎日塾に通わされて、テストの点数が低い順に並ばされてビンタされた。私を殴ったジジイがまだ生きてたら絶対に息の根を止めてやる。
塾では頭にハチマキを巻かされて「負け犬になるな!」「ライバルを蹴落とせ!」と怒鳴られた。
「人権って、何かね?」とそいつらの頭を巨大カボチャでかち割りたい。
スウェーデンでは保育園から人権教育やジェンダー教育を徹底して、「性別、民族、宗教、セクシャリティ、障がいに関わらず、人間には全員同じ価値がある」と子どもたちに教えるそうだ。
全ての人間はオギャーと生まれた瞬間から平等に人権がある、という教育を日本はあまりにしてこなかったんじゃないか。
政治家が平気で差別発言をして辞任もしない、そんな国で暮らしていると「スウェーデンってマリネラみたいに架空の国かな?」とクックロビン音頭を踊りたくなる。
クックロビン音頭がわからない人は周りの年寄りに聞いてほしい。
一人の声は小さくても、小さな声が集まれば大きな声になる
なんでこんなに違うのか?というと、スウェーデンでは保育園から民主主義の基本を学ぶそうだ。
久山さんいわく「政治を批判するのは国民の義務だし、むしろ良いことだとされてるよ」「子どもも大人も政治の話をめっちゃしてるよ」とのこと。
日本では政治の話はタブーという風潮が根強い。私もコラムやツイッターで政治批判すると「反日」「パヨク」「共産党のスパイ」とか言われる。スパイだったらもっと隠密活動するだろう。
アルテイシアも北欧で笛を吹きトナカイと遊んで暮らしたい。だがしかし、もう少し日本でがんばると決めたのだ。
私一人の声は小さくても、小さな声が集まれば大きな声になる。だから「黙って俺に従え」系の家父長制政治に「なんで黙らなあかんねん、主権者はこっちやぞ!!」と声を上げ続ける。
そして親ガチャに左右されない社会、どんな家に生まれても「生きたい」と思える社会を目指したい。
私は20代まで概ね死にたかったけど、今は生きていてよかったと思う。
この調子で83歳ぐらいまで生きたいな~と思っていたら、夫に「俺は最低でも一万年は生きたい」と言われて、頭がおかしいのかな?と思った。
夫の目標は不老不死らしいので、石仮面とか被れるといいねと思う。
私は不老不死とか死んでもイヤだけど、毒親のトラウマから回復して生きやすくなった。それは人に話して頼れるようになったからだ。
精神医学の本にも「トラウマからの回復には、周りに支えてくれる味方がいたか?1人で抱えなければならなかったか?がもっとも大きな影響を与える」と書いている。
そんなわけで次回は、毒親カムアウトのコツについて書きます。
読んでいただきありがとうございます。
ぜひ作品へのご感想・応援メッセージをお寄せください。
作者・編集部で拝見させていただきます。