私たちに「親ガチャ」が必要な理由

『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』などで知られるアルテイシアさん。毒親問題からフェミニズムまで、ヘビーな内容もストレスフルな現象もコミカルに楽しく分析してくれるコラム。今回は「親ガチャ」という言葉についてです。

 

「親ガチャ」は自責する毒親育ちに必要な言葉

数年前から、私は毒親の文脈で「親ガチャ」という言葉を書いてきた。

それが最近では「親の経済力のせいにする子ども」みたいな文脈で使われることが多くてモヤる。

親ガチャは「親に愛されないのは自分のせいだ」と自責する毒親育ちが「たまたま運が悪かった」と思えるために必要な言葉なのだから、奪わないでほしい。

という趣旨のツイートをしたら、たくさんの共感の声が寄せられた。 

「親は子どもを愛して当然、愛されないのは自分が悪い、と思っていたけど、親ガチャという言葉で『運が悪かっただけ、子どもには責任がない』と思えて救われた」 

そんな切実な声に膝パーカッションするフレンドは多いだろう。

「毒親ポルノ」という言葉に救われた、という感想もよくいただく。

第一回に書いたが、私は毒親を許して和解する系のお涙頂戴コンテンツを「毒親ポルノ」と呼んでいる。

どんなにひどい親でも、吐き気をもよおす邪悪でも、子どもは「親を愛せない自分はひどい人間じゃないか」と罪悪感に苦しむ。

そのうえ世間や周りから「子を愛さない親はいない」「だから親を嫌うなんておかしい」「許して和解すべきだ」と圧をかけられ、何重にも苦しめられる。

毒親に苦しむ子どもを「感動」のために都合よく消費するな、こっちは生身の人間なんやぞ。

私が一番プンスコするのは「余命わずかな毒親と最期に和解して感動エンド」みたいな作品だ。

その手の毒親ポルノが「親を見捨てる自分は間違っている」と毒親育ちを追いつめる。

なにより、当事者からするとバチクソに嘘くさい。

余命わずかな毒親に「すまなかった、許しておくれ…」と手を握られても、許せるわけないだろう。

「ふざけるな!それっぽっちの謝罪でチャラになると思うな!私が受けてきた傷や苦しみはどうなる!てめえの人生を美談で締めくくろうとするな!それも自己満足の懺悔だろう!そういうとこやぞ!」

とバチギレたいが、死にかけの年寄りにキレたらこっちが悪者になる。

おまけに周りから「死にかけの親が謝ってるのに許さないなんてひどい」と責められたら、点滴にレッドブルとか混ぜてしまう。

実際、毒親フレンド同士で「親の介護は死んでもしない、弱ってる今がチャンス!と殺してしまうから」「わかる!」と膝パーカッションしている。

私は「敵は己の罪悪感」を標語にして、毒親のもとから逃げ出した。逃げなければ、親か自分を殺してしまうと思ったから。

「たったひとつだけ策はある!とっておきのやつだ!逃げるんだよォォォーーーーーッ」のジョセフ作戦で逃げまくって、親が死んだ時にはホッとした。

世間は「逃げちゃダメだ、向き合わなきゃ」「じゃないと親が死んだ後に後悔するよ」と脅してくるが、私は親が死んでも後悔なんてしなかった。

むしろもっと早く絶縁すればよかったと後悔している。そしたら借金も背負わされずにすんだのに。

 

「自分の感情」を否定されて育っている毒親育ちは、「会いたくない」という感情を尊重してほしい。

親が死ぬ前に会っておけばよかった、と悔やんだことも一度もない。むしろ会わなかったことで自分を守れたと思う。

みんなモンスターに追われたら逃げるだろう、追われたことのないラッキーな人がテキトーなこと言わないでほしい。

子ども本人が「会いたくない」と思うなら会わなくていいし、それを決める権利があるのは本人だけだ。

毒親育ちは親から「自分の感情」を無視されて否定されて育っている。

だから自分だけは「会いたくない」「会うのがつらい」という感情を尊重してほしい。

父親が自殺する数年前に入院していた時、病院に行くべきか迷った。そんな私に友人たちは「行かなくていい」と言ってくれた。

「アルが決めることだけど、本音は会いたくないんでしょ?」
「あのお父さんのことだから、またつけこまれて搾取されそうだし」
「このまま相手が死ぬまで逃げ切る方がいいんじゃない?」

父親を介護して看取ったばかりの友人は「介護とかめっちゃ大変だし、あのお父さんにそんなことしてやる義理ないし。一回会ってヘタに情が湧いてもアレだし、無視した方がいいと思う」と言ってくれた。

もしあそこで「親子なんだから」「会わないと後悔するよ」とか言われたら、友達にもわかってもらえない…と絶望したと思う。

親ガチャがハズレでも、わかってくれる友達がいれば何とかなる。

そして前回書いたように、友達はいくつになっても作れる。ネットの毒親コミュニティでフレンドを見つけるのもアリだろう。

10代の私は毒親のことを誰にも話せなかったけど、40代の私にはなんでも話せる味方がいる。だから今はもう十分幸せなのだ。

今の自分を幸せだと思えたら、毒親育ちでもだいじょーVである。

 

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愉快なJJ(熟女)ライフの古傷

そんなわけで愉快なJJ(熟女)ライフを送っているが、たまに古傷が疼くこともある。

私の場合、古傷えぐられナンバーワンは「親子の笑い話」である。

SNSで親のほっこり笑えるエピソード等を見た時は「……………」とゴルゴのように無言でそっ閉じしてしまう。

というのも「毒親のことを笑い話にして話す」のは毒親育ちあるあるだから。

中高時代の私は「うちのお母さん、天然なんだよ笑」「うちのお父さん、変わっててさ~笑」と友達に話していた。

子どもは自分の親をひどい親だと認めたくない。それを認めてしまうと生きていけないから、無理やり笑って「ネタ」にしようとする。

屈託なく親子の笑い話をする人を見ると、そんな子ども時代の自分と比べてしまう。必死で生き延びようとしていた少女が可哀想で、涙が出てしまうのだ。

だからってそんな話するなとは思わないし、もちろん責める気もない。

ただ、無言でそっ閉じする権利はあるだろう。見たくないものを見ないために、ミュートしたっていいだろう。

だって私たちはさんざん傷ついてきたんだから。

親ガチャでハズレを引いた人間は、アタリを引いた人に対して、脳内ガールズバンド(ねたみ・うらみ・つらみ・そねみ)を結成してしまう。

そんなバンド、本人が一番組みたくないのだ。「友達を妬んでしまう自分は性格が悪い」と自己嫌悪に陥って、さらにつらみが増すのはイヤなのだ。

わかる!と膝パーカッションするフレンドよ、どうかもう自分を責めないでほしい。

友達を妬んでしまう時は「それだけ傷ついてきたんだな」と思ってほしい。「それだけ傷ついてきたのに、生き延びてめっちゃ偉いよ」と自分を褒めてほしい。

あなたが褒めないなら私が褒める、あなたは生きてるだけで百点満点!!

 

他人を羨んでしまうのは自然な感情

私の脳内ガールズバンドは、昭和に結成された老舗バンドだ。

子どもの頃から、戦場生まれの自分と平和な家庭に生まれた友達を比べて「理不尽オブザデッドやないかい~~~!!バックトゥーザファイヤー!!」と熱唱してきた。

子どもは生まれる家庭を選べない。それを「しかたないでしょ、世界は残酷なんだから」と割り切れないし「比べるのはしかたないでしょ、人間だもの」と言いたい。

人は聖者になんてなれないし、「どんなにつらくても人の幸せを喜ばなきゃ」なんてブッダみは出さなくていい。

どんなに望んでも欲しいものが手に入らない時、他人を羨んでしまうのは自然な感情だ。心の中は不可侵領域で、何を思おうが自由なのだ。

この世界は私たちを傷つける、いともたやすく行われるえげつない行為に溢れている。

それでも「理不尽オブザデッドやないかい~~~!!」と合唱できる仲間がいれば、だいじょーVである。

私も昔はこの世界から消えたかったけど、今は生きる気まんまんだ。両親は短命だったけど、自分はジョセフみたいに長生きしたい。

長生きして、ブラウン管じゃわからない景色が見たい。ブラウン管がわからない人は周りの年寄りに聞いてみよう。

ヘルジャパン生まれ毒親育ちの私はマジ親に迷惑かけられた本当に。

それでも必死のパッチで生きてきたけど、本来はガチャがハズレでも余裕のよっちゃんで生きられる社会にするべきだ。

親がなくても子は育つし、親が毒でも子は育つのが理想の社会だろう。みたいな話を次回書こうと思います。

 

 

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