「疲れることをしなければ、疲れない」という真理
当連載のオファーをいただいた時に「受けたいです、でもしんどい時は休みたいです」と編集長に伝えたら「ぜひ!私もしんどい時は休めるサイトにしたいんです」と言ってもらえた。
だったら連載が増えてもイケるかなと思って、今こうしてコラムを書いている。
3年前に『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった』という本を出した。
私が40歳を過ぎて生きやすくなったのは、無理をしなくなったからだ。
JJ(熟女)は無理が死に直結するお年頃。疲れた時は無理せず休むことで、サスティナブルな働き方が実現する。
振り返ると、20代は整体やマッサージに課金しても疲れがとれなかった。
むしろ45歳の今の方が元気はつらつなのは「疲れることをしなければ、疲れない」という真理に気づいたからだ。
そんなの当たり前田のクラッカーだが、20代の私はやばたにえんの麻婆春雨な働き方をしていた。
新卒で入社した広告会社は「仕事のために心臓を捧げよ!」みたいな職場で、ポンコツ社員だった私は「なんの成果も得られませんでした…!!」と号泣する日々だった。
ストレスと激務にセクハラとパワハラの地獄乗っけ盛り定食で「もう死んじゃおっかな」と会社のトイレで泣いたことを覚えている。
今でも当時の悪夢を見ては、汗びっしょりで目が覚める。「終わらない悪夢を見てるようだったよ…」と震えるユミルちゃんの肩を抱いて飲みに行きたい。
もし今、余命宣告されたら?
もう無理ぽ、と28歳の時に会社を辞めて無職になった。
その後いろいろあって物書きになったが、コラムの仕事だけでは食えなかったので、ゲームのシナリオを書く仕事をしていた。
30代はシナリオを大量生産していて、2ヵ月ぐらいカンヅメ状態で執筆することもあった。
その時に好奇心から体毛をそらずにいたら、山賊みたいなボディになった。
毛の育成は楽しかったけど、当時は「こんな締め切りに追われる生活はイヤだ…余裕がほしい…」とさめざめ泣いたりしていた。
あれだけ働いたおかげで貯金もできたし、推し声優さんと仕事もできたし、後悔はしていない。
でも40歳になる前にゲームの仕事を全部やめた。
「もし今、余命宣告されたら?」と想像した時に「あんなに仕事ばっかりするんじゃなかった」と後悔すると思ったから。
そして、ゴムパッチン教から卒業しようと決めたのだ。
かつての私は電撃ネットワークのゴムパッチンみたいに、限界ギリギリまでがんばらないと自分を許せなかった。
ゴムパッチン教に入信してしまうのは、いろんな理由がある。
私の場合は18歳から自活してきたので「金を稼がなければ死」という恐怖心が強かった。広告会社でバリキャリになれなかった劣等感もあったと思う。
「周囲の期待に応えなければ、というプレッシャーが強い」
「自分さえがんばればいいんだ、という自己犠牲精神がヤバい」
「楽することに罪悪感を感じてしまって、自分を大切にできない」
…等など、人それぞれ理由があるし、もちろんがんばることは悪くない。
働き方は人それぞれで、全力でがんばるのが向いてる人もいる。
ただ私には向いてなかったし、限界ギリギリまでがんばるんじゃなく、余裕のある生活をしたかった。
友達と会ったり本を読んだり、のんびり鼻歌を歌ったりしたかった。
ゲームの仕事をやめてしばらくは罪悪感や居心地の悪さを感じたけど、あっという間に慣れた。痩せるのは大変だけど太るのは楽ちん、みたいなものか。
そして「あんな働き方は二度とできねえ、フンガフンガフーン♪」と鼻歌を歌っている。
ちなみにゲームの仕事をやめたら、もともと書きたかった女性向けのコラムの依頼が増えたので、人生とは珍奇なり。
「がんばらないこと」が苦手な日本人
「がんばらないこと」が苦手な日本人は多いんじゃないか。
子どもの頃から「我慢!忍耐!努力!」と教育されて「もう無理ぽ」と言えない、理不尽な校則を押しつけられて「人権侵害だ!」と怒れない、それで限界までがんばり続けてぶっ壊れてしまう、そういう人は多いと感じる。
人は長期間ストレスにさらされ続けると、逃げる気力すら奪われる「学習性無気力」になってしまう。
私は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が嫌いだ。
置かれた場所がドブだと永遠にドブから抜け出せないし、自分に合った場所を見つけるチャンスも逃してしまう。
それに自分が我慢していると「おまえも我慢しろ」と他人にも厳しくなる。「本人の努力不足」と自己責任教を刷り込まれると、政治や社会の問題にも気づけない。
「置かれた場所で咲きなさい」は、都合のいい奴隷を作るための呪文なんじゃないか。
私自身は、我慢がきかない性格に救われた。もし我慢強い性格だったら、広告会社というドブにスケキヨポーズで沈んでいっただろう。
当時は転職活動する元気もなかったので、ノープランで退職して無職になった。
「自分はそんな勇気がない」という人もいるが、私はべつに勇気もないし、やる気も根気も五木のセレットもない。言葉の意味がわからない人は西日本出身の年寄りに聞いてほしい。
私は単に向こう見ずな性格なのだ。だからビッチになってやりまくったとも言える。
精神医学の本によると、人には慎重派と冒険派がいて、これは生まれつきの性格が大きいらしい。
慎重派は石橋を叩いて渡るため、失敗するリスクは低いけど、チャンスを逃すこともある。
冒険派は石橋をろくに見ずに突っ走るため、怪我しがちではあるが、予想外のチャンスをつかめたりもする。
どちらもメリットデメリットがあって、人類の存続には多様性が必要なのだ。
いきなり大きな話になったが、名作『7SEEDS』もそんなテーマを描いていて、優秀な人ばかりのチームは自滅すると…と語り出すと三日三晩止まらないので、また今度。
若い人が離れていく会社に未来はない
「あんなに仕事ばっかりするんじゃなかった」
これは余命宣告された日本人が言う台詞ナンバーワンだ、と聞いたことがある。イタリア人は「もっと食べて歌って恋をすればよかった」と言うのだろうか。
イタリア人のことは知らんけど、私はゴムパッチン教から卒業して生きやすくなった。
また、仕事人間だった父が自殺した時に「仕事だけを生きがいにすると人生詰むな」と実感した。
バブル期に「24時間戦えますか?ジャパニーズビジスマン」というCMが流行ったが、その話を若い人にすると「24時間働いてる間に誰が家事や育児をするんですか?」「そんなブラックな会社ヤバいでしょ、そりゃ過労死しますよ」との感想だった。
おっしゃる通りだし、若い人が離れていく会社に未来はない。
「日本で子育てするのは無理ぽ」と子どもが2歳の時にスウェーデンに移住した、友人の久山葉子さんが著書『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』で次のように書いている。
『スウェーデンに移住してきて一番感動したのは、とにかくいろいろな面で楽になったこと。スウェーデンには、無理なく共働きで子育てできる枠組みがあった』
『例えば、残業がなくて四時から五時には退社できる。スウェーデンだと、サービス残業などしようものなら、むしろ同僚たちから反感を買ってしまう。定時内に終えられないほどの仕事があるというのは、会社や上司の采配が悪いということだ』
『スウェーデンでは男女とも育児休暇をとるし、子どもが病気になったら休むので、日本にいた時のように「子育て中で申し訳ない」と思うことがなくなった』
これを読んだ日本人は「マリネラみたいに架空の国なんじゃ?」と思うだろう。
ちなみに、久山さんからスウェーデンでは休憩中にみんなリンゴを丸かじりしていると聞いて、歯茎が痛まないのかしら?と心配になった。
フランスで働いていた友人も「フランス人の上司は『ペットの犬の調子が悪いから』みたいな理由で堂々と休む」と話していた。
「ゆるすぎるんじゃ?と思ったけど、そうやって上司が休んでくれるから、自分も休めることに気づいた」とのこと。
欧米には生理休暇がないそうだが、それは生理痛だろうが下痢だろうが風邪だろうが、体調が悪い時はみんな休むからだそうだ。
(ちなみに日本の生理休暇の取得率は1%以下で、制度はあってもほとんど使われていない)
しんどい時は休もう
コロナ禍で唯一よかったことがあるとすれば、「風邪ぐらいで休むな」から「風邪の時は休もう」という風潮に変わったことだろう。
某風邪薬のCMコピーも「風邪でも絶対に休めないあなたへ」から「今すぐ治したいつらい風邪に」に変更されている。
また、いまだに「鬱は甘え」とか抜かすボケナスもいるものの、甘えられない人、つらいと言えないがんばりやさんが鬱になることも認知されてきた。
つらい、しんどいと言えない日本人が多いからこそ、「しんどい時は休もう」と声を上げていきたい。
せやろがいおじさんが動画の中で「しんどいことやったら長続きしないので、明日は配信を休みます」と話していて、いいなと思った。
私は彼と親交があるのだが、心の中で「せやろがい青年」と呼んでいる。彼は34歳で全然おじさんじゃないからだ。
一回り年上の私はオロナミンCがなくても元気はつらつだが、若い頃に比べて体力はなくなった。
立ち上がる時は「ヨッコイショー!」と祭りのような声が出るし、「ラッセーラー!」と気合を入れないと階段を登れない。
でも体力がなくなるのは悪いことばかりではない。
JJ仲間たちは「20代は無駄に体力があったから、無理な働き方をしてたんだと思う」「今は体力がないからちゃんと休むようになったし、そのぶん効率的に仕事するようになった」と話している。
ちなみに私は性欲も激減して、ビッチだった日々は遠い日の花火である。
JJ仲間に「性欲が枯れ果てて、うどん粉病かな?と思う」と話したら「うどん粉病は白いカビでは?」「葉を枯らすのは、かっぱん病では?」と返してくれた。
年寄りしかわからないCMの話で盛り上がるのはJJあるあるだ。
カダンカダンカダン♪と鼻歌を歌う40代の私から、20代の私に伝えたい。
たまに歯茎が痛くなるけど、私は元気です。
今はトイレで「もう死んじゃおっかな」と泣いてるかもしれないけど、まだ死なないで。
未来の私は予想外に生きやすくなってるから、安心して年をとってくださいね。
読んでいただきありがとうございます。
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作者・編集部で拝見させていただきます。