40歳を過ぎたら生きるのが楽になった?

『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』などで知られるアルテイシアさん。毒親問題からフェミニズムまで、ヘビーな内容もストレスフルな現象もコミカルに楽しく分析してくれるコラム。今回は「年を取ることの面白さ」についてです。

 

「40代の今が人生で一番楽しい」はほんまやった

「40歳を過ぎたら肩の力が抜けて楽になった」「40代の今が人生で一番楽しい」

若い頃、中年女性のこうした言葉を聞いて「ほんまかいな?」と思っていたが、いざ自分が中年になって「ほんまやったわ」と実感している。

3年前に我がJJ(熟女)ライフを綴った『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった』を出版した。

この本を読んだ方々から「年をとるのが不安だったけど、ちょっと楽しみになった」と感想をもらって嬉しかった。

JJになると、あらゆる面でゆるくなる。

体中のパッキンがゆるむため、JJ仲間は「縄跳びしたら、びっくりするぐらい尿漏れした」と話していた。

私も屁をこくと「便が漏れたんじゃ?」とドキッとする。ホワイトジーンズとか怖くて履けない。

同時に精神的にもゆるくなるため、肩の力が抜けて楽になった。今の私は大抵のことは「まあいっか」ですましている。

完璧主義で生きづらい人も、年をとるとちょっと楽になると思うので、期待していてほしい。

また年齢を重ねて経験が増えるうちに、いろんなことに慣れる。

若い頃は自信のなさゆえにプライドだけ高くて、自分の間違いを認められなかったし、失敗すると地獄のように落ち込んだ。

でも年をとると失敗することに慣れて「そら失敗するわな、自分だもの」と思える。

「私、失敗しないので」と思っているより「私、めっちゃ失敗するんで」と思っている方が楽だし、他人の失敗にも寛容になれる。

私は他人のミスにイライラしなくなって、人間関係もうまくいくようになった。

 

自分のトリセツがわかる、人に頼れるなどいい変化も

年をとると、自分のトリセツがわかってくる。おかげで失敗しないよう注意できるようになって、失敗の数も減った。

かつ無駄なプライドが減ったため、人に頼れるようになった。

私は苦手なことが人一倍多い人間だが「わからないから教えて」「できないから助けて」と言えるようになった。

助けを求められる能力は、人生で一番大事なものだと思う。

また年をとると「若者がみんな自分が産んだ子どもに見える現象」によって、若い子がみんなかわいく思えるようになった。

ネット上では46歳の私に対して「穴需要のないババア」といったクソリプを送ってくる者もいる。

ババアは若い女に嫉妬するもの、女の敵は女、そんな都市伝説をいまだに信じているバカがいるが、ババアは自分が若い頃にセクハラ等で苦労したため「若い子を守りたい」と思うのだ。

かつクソリプが来ても「穴需要…アナと雪の需要…レリゴ~♪」と余裕のよっちゃん(JJ言葉)なのである。

昔はクソリプが来ると引きずったが、今では3分後には忘れている。

クソリプを見た瞬間はムカつくが、ちょっと用事をしたりするうちに「なんやったっけ?」と記憶が消滅するのだ。

記憶喪失が得意なJJは「今って令和何年やったっけ?」が口癖である。そのたびにググるのは不便だが、嫌な記憶も忘れるのは便利。

とはいえ、たまに記憶の蓋が開くこともある。

過去のやらかしを思い出して「キエエエエ~!!」とジタバタしたりするが「まあいっか、私以外は忘れてるだろ」とすぐに正気に戻れる。

 

ルッキズムの呪いも軽くなった

若い頃は自意識過剰だったが、年をとると自意識もゆるくなる。

昔は「こんな服着てたらダサいと思われるかな」と不安になったが、今は外出しながら「服、着てたっけ?」と不安になる。うっかり全裸で公道を歩かないように注意したい。

私の場合は、40歳を過ぎてルッキズムの呪いも軽くなった。

若い頃は人と比べてコンプレックスをこじらせたり、見た目の老化に怯えたりしたけれど、今は「まあ誤差だろ」と思える。

前回、JJになって性欲が激減したと書いたが、同時に男性に興味がなくなり、モテたい欲がゼロになった。

「男に評価されたい」とか1ミリも思わないため、自分のためにおしゃれや運動を楽しむようになった。

公園で太極拳をしているババア先輩たちも「ジジイにキレイって思われたい」とかじゃなく、自分のためにやっているのだろう。

加齢とともに、美容<<<<<<健康に優先順位が変わってくる。

「足が太い」よりも「ヒザが痛い」のほうが一大事だ。私も百歳まで歩けるおばあさんを目指してストレッチをしたり、骨粗しょう症予防のサプリを飲んだりしている。

私の場合、若い頃から理想のJJ像が美魔女系ではなかった。

アンチエイジングに粉骨砕身する美魔女は、ストイックなアスリートみたいですごいと思う。でも自分はあんなふうになりたいとは思わない。

私の理想のJJ像は、キラキラ系ではなくひょうきん系だった。

関西出身の私は、面白くてメンタルつよつよな関西のおばちゃんに憧れていた。また若く見える中年女性よりも、自分に合ったおしゃれを楽しむ中年女性をかっこいいと思っていた。

どんなJJになりたいか?をイメージすれば、老化の不安が減る人もいるんじゃないか。

私の場合、血中フェミ濃度やジェンダー意識が高まったことで生きやすくなった。

「人を見た目で判断するルッキズムはやめよう」と思うことで、自分のことも見た目で判断しなくなった。

若い頃から「女の価値は若さと美しさ」というジェンダーバイアスに「クソが」と思っていたが、「マジでクソクソのクソ、こんな呪いは滅ぼしてやる!!」とより強く思うようになった。

 

もちろん、35歳から40歳のプレJJ期には惑いも

そんな私も35歳から40歳のプレJJ期は惑いがあった。

老化に不慣れなため、あらゆる老化現象にいちいち戸惑ったし、若さを失う寂しさもあった。

またプレJJ期は「若い女」という土俵にまだ片足載っていて、ぐらぐらと不安定な状態だった。

その土俵を完全に降りると「好きにやらせろ、どすこい!!」と肝のすわったJJが爆誕した。

今の私はエイジズム(年齢差別)の呪いもスーパー頭突きでぶちのめせる。

振り返ると、20代が一番しんどかった。セクハラのターゲットにされても敵をぶちのめす胆力がなく、笑顔でかわして心で泣いていた。

女性差別の強い国ほど若い女性の自己肯定感が低い、というデータがある。女性が生きづらいのは本人じゃなく、社会や政治の責任である。

20代の頃「なんだか私、若すぎる」と違和感を感じていた私は、おばさんが性に合っているのだろう。

若い時は世間や周りから「今が一番いい時だね」と言われるのもプレッシャーだった。

「若いんだから、リアルを充実させなければ」と焦りや切迫感を感じていたが、リア充もいまや死語である。

渋谷でハロウィンとかナイトプールでパーティーとかも「自分には関係ないわ」「疲れそうだし、それより横になりたい」と思うようになった。

JJは横にならないと死ぬ生き物である。

年をとると体力が減って疲れやすくなるが、「無理をしなくなる」というメリットもある。無理をしないために工夫することで、サスティナブルな働き方が可能になる。

疲れるから本当にやりたいことしかしないし、会いたい人としか会わないようになり、ストレスフリーな生き方に近づく。

 

興味がなかったことに興味をもつようになるのも、加齢の面白み

興味がなかったことに興味をもつようになるのも、加齢の面白みだ。

同世代の友人は「健康目的で運動するようになって、体を動かす楽しさに目覚めた」と話していた。

私はなんとびっくり、掃除に目覚めた。

JJはかがんで床を磨いたりすると腰が死ぬので、腰を守るための効率的な掃除のやり方を研究するうちに興味が湧いてきて、家がきれいになった。

あんなに掃除が苦手だったのに、人はいくつになっても変われるものである。

そして、いくつになっても友達は作れる。

『友達の作り方~ゴリラ型で生きたい人へ~』で書いたように、私は一人じゃ生きていけない人間だと自覚していたから、友達を作る努力をしてきた。

若い頃は「私って友達がいないな」とめそめそ泣いたりしたが、40代の今は友人に恵まれていると思う。

年をとろうが老けようが、年齢や容姿関係なく好きになってくれる友人がいれば「自分も悪くないかも」と思える。 

また自分だけ老化するのは怖いが、友達もみんな一斉に老化するので、孤独じゃないのだ。

JJ仲間と集まっては「子ども産んでから頻尿になって、朝までもたない」「私は子ども産んでないけど朝までもたないよ」「そうなんだ!」と加齢トークに花を咲かしている。

以前、カフェで60代ぐらいのご婦人たちが「老眼でビューラーが使いづらいから、まつエクにしたの」「そうなんだ!私もまつエク試そうかな」とキャッキャウフフしていて、楽しそうだった。

同世代や年上の女友達がいると楽しい。かつ年下の女友達がいると、もっともっと楽しい。

彼女らから若者の意見や文化を聞くのも楽しいし、私がアプリの使い方とか聞くと優しい孫のように教えてくれる。

私は「アルテイシアの大人の女子校」という読者コミュニティを運営していて、定期的に女子会を開いている。また遠足やハイキングに出かけて「シスターフッド最高、ワッショーイ」と実感している。

要するに、私は女子校が性に合っているのだ。

共学の老人ホームは合わなそうなので、老後は女たちが暮らすデンデラを作りたい。そして死んだら遺産はデンデラに寄付したい。

そのためにがんばって働くぞ!ラッセーラー!とやる気が出る。

 

人生百年時代、いまやJJになってからが人生本番

人生百年時代、いまやJJになってからが人生本番と言える。

女子校には未婚、既婚、子持ち、子ナシ、シングルマザーといろんなメンバーがいるが、寿命の長い女性は大体最後はおひとりさまになるので、みんなで一緒に年をとっていこうね、と話している。

ヘルジャパンで暮らしていると、ヘルみの深さに心が折れる。フリーランスの野良作家の吾輩は、将来不安で押し潰されそうになることもある。

政治家が自己責任だの自助努力だの抜かすのを聞くと「これ以上どう努力しろと?!」と怒髪天を突き、米国のニュースで流れたように、議会に乱入して国会の廊下にうんこしたろかと思う。

でもトランプ支持者じゃないからそんなことしないし、そもそもうんこってそんな自在に出せるもの??

私はうんこよりも言葉を使って闘いたい。小さな声が集まれば大きな声になる。その声がどんどん大きくなれば、政治家は無視できなくなる。

「黙って従え」系の家父長制政治に「黙ってたまるか、主権者はこっちやぞ!」と抗議の声を上げていく。

そんな心意気でやっとりますが、声を上げ続けるのは疲れる。なので疲れた時は女子会でパワーを充電して、みんなでヘルジャパンを生き延びたい。

基本、生きることは面倒だし疲れるものだ。それでも生きなきゃいけないなら、支え合えるフレンズがいたほうが心強い。

親がクズでも政府がゴミでも、どっこい元気に生きてやる。読者の皆さんも勝手にフレンズだと思ってるので、ともにサバイブしていきまっしょい!!

 

 

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