恋愛に興味がない私はおかしいの?

『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』などで知られるアルテイシアさん。毒親問題からフェミニズムまで、ヘビーな内容もストレスフルな現象もコミカルに楽しく分析してくれるコラム。今回は世間でよく話題に上がる「恋愛」についてです。

 

恋愛するのは“普通”のこと??

「恋愛に興味がないし、恋愛感情がよくわからない。こんな私はおかしいんでしょうか?」

そんな相談を読者の方からよくもらう。

誰かのことを人として好きだな、魅力的だなと思うことはあるけど、付き合いたいとかセックスしたいとは思わない。むしろ恋愛感情を向けられると、苦しいと感じてしまう。他人の恋バナを聞いても共感できない。こんな私は欠陥があるんでしょうか?

みたいな話を聞いた時に「それはまだ好きになれる人に出会ってないだけ」「いつかあなたも恋をするから大丈夫」とか、適当なことを言うのはやめよう。

それは「いつかあなたも“普通”になれるから大丈夫」と言ってるようなもので、「人は恋愛するのが自然、恋愛しないのは不自然」という押しつけが、相手を苦しくさせているのだ。

なんて偉そうに言える立場かよ、とセルフツッコミが止まらない。

かつての私はあらゆる面でガバガバだった。職場で後輩女子に「彼氏できた?」「どんな男子が好み?」とか平気で聞いていた。

世の中には多様なセクシャリティの人がいて、目の前の相手も性的マイノリティかもしれない、と想像できるだけの知識がなかった。

そんな過去を反省して、ジェンダーやセクシャリティについて学ぶ日々である。

今の私には、当事者として意見を聞かせてくれる友人たちがいる。

アセクシャルを自認する友人は「アセクシャルという言葉を知って、自分みたいな人が他にもいるんだと安心しました。ネットで仲間を見つけて、つながれたこともよかったです」と話していた。

※アセクシャルとは、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシャリティのこと。他者に対して性的欲求を抱かない人を「アセクシャル」、他者に対して恋愛感情を抱かない人を「アロマンティック」と呼ぶこともある。

友人たちから話を聞くと「恋愛感情がわからないなんて気のせいでは? まだ好きになれる人に出会ってないだけでは?」と本人が誰よりも一番考えているのだ。

「だって“普通”になれるものならなりたいから。その方がどう考えても生きるのが楽じゃないですか。でも、どうやってもわからないものはわからない。自分はこういう人間なんだ、と認めることで楽になりました」

そんな友人たちの気持ちを想像はできる。

私も自分の親は“普通”だと思いたかった。でもどうやっても親を好きになれなくて、親といると苦しくて、自分の親は毒親だと認めることで生きやすくなった。

属性や立場が違う人の苦しみを「感覚」としてわかるのは無理でも、想像することはできる。相手を傷つけないために努力することもできる。

 

今の時代、恋愛経験がないのは特に珍しいことではない

「自分がアセクシャルかどうかはわからないけど、恋人がほしいと思ったことがない」「試しに何度か恋愛やセックスをしてみたけど、やっぱり興味を持てなかった」「こんな自分はどこか欠けているんでしょうか?」

そんな相談をいただくこともある。

初老の思い出話をすると、私の若い時分は「恋愛せざるは人にあらず」という恋愛至上主義が強かった。また「やらずにハタチを超すのはダサい(やらハタ)」という言葉もあった。メディアはモテブームを煽っていて、たいそうダルい時代だったのじゃよ。

一方、いまやモテはオワコンと化し、「恋愛するもしないも個人の自由」という時代になった。

「恋愛・結婚調査2021(リクルートブライダル総研調べ)」によると、20~40代未婚男女のうち、恋人がいる人の割合は33.4%、恋人がいない人の割合は66.6%になり、そのうち交際経験のない人は28.6%。男女別で見ると、交際経験がない男性は32.9%、女性は23.1%である。

今の時代、恋愛経験がないのは特に珍しいことではない。にもかかわらず、いまだに恋愛至上主義の燃えカスみたいな人々がいて超ダルい。

たとえば、恋愛ゲームにハマる人に「なんで自分は恋愛しないの?」と聞いたり、男性アイドルを推す人に「現実に彼氏作ればいいのに」と言ったり、そんなのは余計なお世話オブザデッドだ。

サッカーを見るのが好きな人に「なんで自分はサッカーしないの?」とは聞かないだろう。

「恋愛はするものじゃなく、見るもの」という人は大勢いるし、それを他人がとやかく言う方がおかしい。

恋愛するのが普通、人数が多い方が正しい、みんな普通になれ…そんな同調圧力の強い社会は生きづらい。

「みんな違って当たり前」が当たり前の社会、誰も排除されない、みんなが共生できる社会を目指すのがフェミニズムである。

 

ビッチだったゆえに分かる恋愛至上主義の呪い

私は初老のフェミニストであるが、若い時分はビッチであった。

メンタルが不安定で男やセックスに依存していた私は、「男もセックスも必要ない」という完全生命体タイプの友人が羨ましかった。私からすると「欠けている」のはむしろ自分の方だった。

しかし彼女らは彼女らで「自分は人として経験値が低いのでは?」と悩んだりしていた。これも「恋愛やセックスの経験が多い方が上」という恋愛至上主義の呪いだろう。

黒歴史の黒さに自信のある私は、声を大にして言いたい。

「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」とか言うけど、やらない方がよかったことなどナンボでもある。

「あれは経験してよかったな」という恋愛もあるが、「あんなゴミみたいな恋愛、マジでやめときゃよかった」と後悔している恋愛の方が多い。あの無駄な時間と労力を別のことに割いていれば、今ごろ七か国語ぐらい話せたんじゃないか。

「恋愛しないと本物の大人になれないよ」とか言う人は、恋愛を特別視しすぎである。というか、おじさんの白昼夢みたいで気持ち悪い。

この手の発言をする人は、自分の武勇伝を語りたいだけだったりする。もしくは単に口説きたいだけか。そんなの相手する方が時間の無駄なので「今日耳日曜~」とスルーしよう。

物書きや役者の友人たちも、表現の幅を広げるために恋愛しろだのセックスしろだの言われるそうだ。「恋愛やセックスをしなきゃ良い作品は作れない」とドヤる人には「それ宮沢賢治に言うか?」と聞きたい。

そんなクソバイスをする側が、己のアップデートできなさ加減を自覚するべきだろう。元号が平成どころか令和に変わったことに気づくべきだ。

恋愛もセックスも結婚も出産も個人の自由であり、他人が口出しすることじゃない。人にはさまざまな事情や生き方やセクシャリティがあり、それを他人に話したくないことも多い。

私自身は過去を振り返って「恋愛感情の源は、性欲だったなあ」と実感している。

20代の頃はタッパに分けておすそわけしたいぐらい性欲が余っていたが、今は逆さに吊るしても出てこない。性欲がなくなると恋愛に興味がなくなったし、「男にモテたい」みたいな欲求もゼロになった。

生まれつき食欲旺盛な人もいれば食の細い人もいるように、性欲も人それぞれ。
ちなみに食べなくても寝なくても死ぬけどセックスしなくても死なないので、私は性欲本能説には懐疑的である。

「男には子孫を残したい本能ガー」とか言うおじさんには「だったら子どもが生まれて子育てするところまでやれ」と返そう。「男には狩猟本能ガー」とか言うおじさんには「だったら狩猟免許を取って山に行け」と返そう。

 

「みんな違って当たり前」で、自分の幸せを見つけよう

以前、読者の方からこんなお便りをいただいた(掲載了承済み)。

『私はアルさんのコラムを読むまで、アセクシャルという存在を知りませんでした。少し前に、娘から自分はアセクシャルだと打ち明けられました。もしコラムを読んでいなければ「まだ好きになれる人に出会ってないだけ」と返してしまったと思います。

娘が話してくれて本当によかったです。じゃないと、知らないうちに彼女を傷つけてしまったと思うので。

私は娘に「話してくれてありがとう」と言いました。そして、とにかくあなたが幸せであればいい、結婚してほしいとか子どもを産んでほしいとか思わない、あなたが自分らしく生きられるようにサポートする、と伝えました』

これを読んで「なんちゅうええ親御さんや…」と毒親育ちの全俺が涙した。こういう親御さんだから、娘さんも信頼してカムアウトできたのだろう。アル天丸もかくありたい。

ゴミみたいな恋愛をしてきたアル天丸は、夫と友情結婚のような形で結婚した。

夫に対して股間のセンサーはびくともせず「この人とセックスできんのかな?」と思ったけど、試しに付き合ってみたら「人」として好きになった。夫も私を「女」じゃなく「人」として尊重してくれたので、家族になろうと決めたのだ。

そこから17年、今も気の合う相棒として暮らしている。意外なことに、夫に対して「あれ?なんかカッコいいかも…トゥンク」とときめくこともある。

恋愛感情は冷めるけど、友情は冷めない。恋愛よりも友情推しの私には、この形が合っていたのだろう。

幸せの形は人それぞれ。お互いどこか欠けていても、割れ鍋に綴じ蓋でピッタリ合うこともある。

「みんな違って当たり前」が当たり前の社会で、みんなが自分の幸せを見つけられるといいなと思う。

 

 

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