毒親認定は必要ない、しんどいものはしんどい。

『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』などで知られるアルテイシアさん。毒親問題からフェミニズムまで、ヘビーな内容もストレスフルな現象もコミカルに楽しく分析してくれるコラム。今回は「うちは毒親に当てはまる?」と悩んでしまう場合についてです。

 

他人や世間から「あなたの親は毒親です」と認めてもらう必要はない

「うちの親は毒親じゃないけど」
「毒親と言うほどじゃないけど」
「これって毒親なんでしょうか?」

読者の方からこんなコメントをよくいただく。

皆さんにお伝えしたいのは「毒親認定は必要ない」ということだ。

他人や世間から「あなたの親は毒親です」と認めてもらう必要はない。

“毒親”とは「親に愛されなかったのは私が悪いから」と自責する子どもが「私が悪いんじゃなく、親が毒だったんだ」と気づいて生きやすくなるため、本人が救われるために必要な言葉なのだ。

少なくとも私はそういう意味で使っている。

たとえば「(自分が受けた被害は)セクハラと言うほどじゃないけど」と話す人がいたら「自分が傷ついたなら傷ついたと認めた方がいいよ」と言うだろう。

親子関係も同じである。自分が傷ついたなら、傷ついたと認めた方がいい。それが心の回復の第一歩になるから。

逆に「うちは毒親じゃないのに、つらいなんて感じちゃダメだ」と自分の感情を否定すると、傷ついた心がいつまでも治らない。

それは転んでケガをしたのに「大した傷じゃないんだから、痛いなんて感じちゃダメだ」と放置するようなものである。

転んでヒザを強打したら「痛い!」と感じる、それは自分を守るための身体の反応である。感情は感覚と同じで、心が勝手に感じるものなのだ。

ちなみに中年になると何もないところで転ぶので、「注意一秒 怪我一生」を座右の銘にしている。

 

家族だからややこしい! 身内に対しては距離感がバグりがち。

また「100%の悪」「100%の善」なんて中二が濡れるキャラは存在しなくて、人間はみんなグラデーションなのだ。

良い親であっても、子どもを傷つけることはナンボでもある。

親に悪気はなくても、子どもは自分の気持ちを親に無視されたり否定されたりすると傷つくのだ。

人から見たら些細な事でも「あの時、私は傷ついたんだな」と認めてあげることで、心がちょっと楽になるので試してほしい。

また「うちは毒親じゃないんだから、親がしんどいなんて思っちゃダメだ」と思うのもやめよう。

「しんどいものはしんどい!心が勝手に感じるんだからしかたねえわ」と開き直る方が生きやすくなる。

悪い親じゃなくても、相性が悪いことはナンボでもある。

「同じクラスだったら絶対友達になってねえわ」というタイプが自分の親だとしんどい。他人なら付き合わなきゃいいが、身内だとなかなかそうもいかないから。

「悪い親じゃないけど、盆正月に会うのが限界」「実家に3日以上いると気が狂いそうになる」みたいな話はあるあるだ。

なぜ家族なのにわかりあえないの?と悩む人は多いが、家族だからややこしいのだ。身内に対しては距離感がバグりがちだから。

「あんたは結婚もしないでお母さん肩身が狭いわ」など、他人には絶対言わないような言葉をぶつけてくる親も多い。

親がしんどいと感じるなら、適切な距離を置く方がいい。「あんまり会わないようにしたら、親も気をつかうようになって関係が良くなった」みたいな話もあるあるだ。

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どんな親でも抑圧になりうるのだから「わかりあえる」幻想を捨てた方が生きやすくなる。

また良い親であっても、どんな親でも抑圧になりうる。というか、親は親というだけで子どもにとって抑圧なのだ。

とある友人は幼い頃から両親と仲が良かった。彼女は医学部に進学したが、どうにも苦しくなって悩んだ末に退学した。

彼女は紆余曲折の末に本当にやりたい仕事を見つけて、今はのびのびと暮らしている。そして過去を振り返ってこんなふうに話していた。

「父親が医者だから『将来の夢はお医者さん』と子どもの頃から思ってた。自分でも気づかなかったけど、それって自分の夢じゃなく父親の夢だったんだよね」

「父親を好きだからこそ、父の期待に応えたいと無意識に思ってたんだと思う」

親を好きだからこそ、親の望むような生き方を選んで苦しくなる人もいる。

また、親と自分を比べて苦しくなる人もいる。同性である母親は特に比較対象になりやすい。

「うちの母は料理も家事も完璧だったから、自分も母みたいにやらなきゃというプレッシャーに苦しんだ」

「家事も仕事もバリバリこなす母を尊敬していたから、自分はポンコツだという劣等感に苦しんだ」

親を好きでも嫌いでも、親子とは苦しいものなのだ。その苦しみにグラデーションとバリエーションがある、という話なのだ。

「親子は仲良くて当然」「親子だからわかりあえる」みたいな幻想を捨てた方が、みんなが生きやすくなるだろう。

 

親の問題と自分の被害は分けて考えよう

また「親も大変だったんだろうから、自分を傷つけたことを許してあげなきゃ」と無理に思う必要はない。

赤の他人からイジメやハラスメントを受けた時に「相手にも大変な事情があったのかも」なんて被害者は考えなくていいし、「だから許してあげなきゃ」なんて思う必要もない。

むしろ無理にそう考えようとすると、被害を被害と認められず、回復から遠ざかってしまう。

親子の場合も、親の問題と自分の被害は分けて考えるべきだ。

「親にも大変な事情があったんだろう。でも私が傷ついたことは事実だし、それについては許せない」と子どもは思っていいのだ。

「過去のことは水に流して」とか言うてくる人がいるが、水に流せた方が楽なんだから、流せるものならとっくに流している。

流したくても流せないからつらいのだし、今もつらいのだから「過去のこと」になっていないのだ。

自分の傷つきやつらさを認めること、ありのままの感情を肯定すること、それが回復の第一歩になる。詳しいことは「毒親カムアウトする側とされる側の虎の巻」を参考にしてほしい。

「親もつらかったんじゃない?」「育児が大変で追いつめられていたのかも」と親サイドに寄り添う人もいる。

でも幼い子どもはどれだけ追いつめられても、親から逃げられない。親は子どもにとって絶対的な権力者なのだ。 

親子は圧倒的な力関係があるのに、その非対称性を無視するのはおかしい。

 

自分は毒親なのかな?と思ったら…

その一方で「育児ってマジ大変すぎるよな」「私が親だったら子どもにブチギレまくるよな」と思う。

子育て中の友人たちを見ていると「日本で子を産み育てるのは無理ゲーすぎる」「非課税で各世帯に2億円ぐらい配るべきじゃないか」と思う。

私なんて二匹の猫にすら「ケンカするんやったら離れときなさい!!」とたまにキレてしまって「私って毒親かしら…」と落ち込むのだ。

一日の半分は寝ていて、学校も塾も習い事も宿題も七五三もない猫にすら。

ちなみに短毛猫なので風呂も必要ない。グルーミングして清潔さを保つなんて、風呂をサボりがちな私より偉いやないか。

子育て中の友人たちは「子どもにキレちゃって落ち込むんだよね、自分は毒親なのかなって思う」と話してくれるが、どうかそんなふうに思わないでほしい。

たまにカミナリを落とすのは“毒親”ではない。

毒親フレンズは大体いつも親に怯えて、親の顔色を窺って育っている。親にワガママを言えることが、子どもが親を信用して安心している証拠なのだ。

また「自分は毒親なのかな」と疑う時点で、だいじょーVである。どこに出しても恥ずかしくない毒親ほど、自分が毒親だと死んでも認めないから。

ちなみにうちの猫は私がキレてもどこ吹く風で、平気で顔とか踏んでくる。片方は9キロあるので窒息しそうになるが、顔を踏まれながら「よかった、毒親じゃないわ」とほっとしている。

 

親を好きでも嫌いでも、親が死んだ時に助け合えるフレンズはいた方がいい

「毒親の呪いから解放されるまで フェミニズム編」で書いたように、母はジェンダーの呪いに殺されたのだと思う。

でも母に呪いをかけたのは私じゃないので、私が犠牲になるのは筋違いだ。

ただ「なんでうちの母親はこうなの?!キエー!!」と思っていたのが、フェミニズムを知って答え合わせができてスッキリした。

母にされたことは許せないけど、憎しみや苦しみは軽くなった。

私は母を嫌いだからこそ「母みたいな女になりたくない」と思えたし、そう思わなければフェミニズムに興味を持たなかったかもしれない。

母は本を読まない人だったので、実家に本棚はなかったし、絵本を読み聞かせてもらった記憶もない。私はいつも図書館で本を借りてモリモリ読んでいた。

そのうち自分でも物語を書くようになり、小学校の卒アルには「将来はアガサ・クリスティみたいな作家になる」と書いている。アガサ・クリスティには1ミリもかすってないが、一応作家にはなった。

だから今は母に感謝している、なんていう気はビタイチないけど、反面教師としての実力はピカイチだった。

反面教師で言うと、母はものを捨てられない民だったせいか、私はバカスカ捨てまくる民になった。必要な書類とかも捨ててしまうので困っている。

母が遺体で発見された部屋はものが溢れていて、片付けがマジで大変だった。

遺品整理はただでさえしんどい作業である。

押し入れには謎の木箱とかあって「敵将の首とか入ってたらどうしよう」と怖かったし、子どもの頃の私が母に書いた手紙や家族写真とか出てきてつらかった。

嫌なことばかりじゃなく、いい思い出もあるから余計につらいのだ。

母親に思い入れのない私ですらしんどかったのだから、思い入れのある人は相当しんどいと思う。

だから親を好きでも嫌いでも、親が死んだ時に助け合えるフレンズはいた方がいい。

互助会的に助け合える友人がいれば、親ガチャがハズレでもなんとかなる。そして親ガチャがハズレでもアタリでも、人それぞれ違うつらさを抱えている。

というわけで、今後も生きづらさを減らすヒントを書いていきます。次回は恋愛と出産の呪いについて書きます。

 

 

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